2012年7月26日(木)迫害と福音の拡散(使徒8:1-8)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
キリスト教会は復活のイエス・キリストの証人として、キリストの教えを広く宣べ伝えてきました。しかし、キリストの教えが世の中に伝わって行き、広がっていくのは、必ずしも教会が計画した通りに実現したとはかぎりませんでした。それは使徒言行録が描いている初代教会の時代からそうでした。
復活のイエス・キリストは弟子たちに「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)と命じて、世界にあまねく福音を宣べ伝える使命をお与えになりました。また天にお帰りになるときキリストは地上に残る弟子たちに「(あなたがたは)エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とおっしゃいました。これらのキリストの言葉は弟子たちが予想もしなかった仕方で実現して行きます。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 8章1節〜8節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。
前回の学びでは、ステファノの殉教の話を取り上げました。このステファノの事件はキリスト教会の歩みにどんな影響を与えたのでしょうか。きょうはそのことを使徒言行録から学ぶことにします。
使徒言行録の8章は「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」という唐突な始まり方をします。もちろん、使徒言行録の著者自身が章の区切りをここで付けたわけではありませんから、唐突と感じるのは使徒言行録の著者のせいではありません。
ここに出てくるサウロという人物は、直前の7章に描かれるステファノの殉教の場面で、ステファノを訴えた証人たちが自分の上着を脱いでその足元に置いたという若者のサウロのことです(使徒7:58)。このサウルはたまたま事件の起こった現場に居合わせて、見ず知らずの人から上着を預かったというのではありません。サウロ自身、ステファノが石打にされることに賛成していた人物なのです。
ただし、使徒言行録は、このサウロがいったい何者なのか、ということをまだ明らかにはしません。キリスト教の知識がまったくない人が、初めてこの個所を読んだとしたら、突然場面に姿を現したこのサウロなる人物が、いったいどんな人物なのか、興味津津のことでしょう。もちろん、使徒言行録の最初の読者たちにとっては、このサウロが誰であるのか、ということは良く知られていました。後に使徒パウロとして知られ、この使徒言行録の中心を担う人物です。
このサウロは、この時、まだユダヤ教の熱心な一派であるファリサイ派に属していました。サウロ自身の証言によれば、サウロの恩師はガマリエルでした(使徒22:3)。ガマリエルについては使徒言行録5章34節以下で学んだとおり、キリスト教に対しては穏健な態度でした。あえて自分たちの手でこの運動を抑え込まなくても、神から出たものでなければ、いずれは消滅してしまうと考えていたからです。
しかし、ガマリエルの弟子であったサウロは、師であるガマリエルのようには穏健ではありませんでした。積極的にステファノの殺害に賛成し、そればかりか、その後のキリスト教の迫害に直接かかわるようにまでなります。神がサウロに対してどんな御計画をもっておられたのかは、その時にはまだ誰も知るよしもありません。この人こそ、誰よりも熱心にキリスト教を伝える人物となるとは、その時の誰の心にも思い及ばなかったことでしょう。どんな強大な迫害者であっても、それでも神の御手のうちにあるということを教えられます。
さて、ステファノの殉教を機に、その日のうちにエルサレムの教会に対して大迫害が起こったと使徒言行録は記します。以前から何度も使徒たちに対するユダヤ最高法院による妨害について使徒言行録は語ってきましたが、ついに大々的な迫害にまで発展してしまいます。
その結果、使徒たちを除く他の人々は皆、ユダヤとサマリアに散らされてしまいました。
これは教会にとっては大変な痛手のように思われます。ユダヤ最高法院の側から見れば、いくら使徒たちでも、支持者を失ったのでは、もはや手も足もでないと楽観したことでしょう。ここで一気に追いつめれば、キリスト教が自滅するのも時間の問題と、たかをくくったにちがいありません。
使徒言行録は、殉教したステファノを葬る信仰深い人々の姿と、この機に乗じて、信徒の家々に押し入り、教会を荒らしまわるサウロの姿を対照的に描きます。手荒いサウロの行動の前に、キリスト教はその勢いを失ってしまうのでしょうか。
使徒言行録は、散らされて行った人々に目を注ぎます。彼らは散らされていった町々で、ただ黙ってひっそりと身を隠していたのではありません。確かに身を隠していた方が安全に違いありません。しかし、彼らは「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」とあります。
エルサレムから散らされていったことは、彼らにとっては不本意で予想外の出来事でした。しかし、どんな機会も、時が良くても悪くても、福音を告げ知らせるチャンスとしたのです。
与えられた境遇こそ、福音を語る絶好の機会であることをこの物語はわたしたちに教えています。落胆するような時にこそ、実はもっとも道が開かれる機会の到来であると心得るべきなのです。
使徒言行録は、散らされていった人々の中で、特にフィリポの活躍について詳しく記します。このフィリポは殉教したステファノと同じ時に選ばれた七人の一人です。
フィリポが向かった先はサマリアでした。ユダヤ人にとってのサマリアは、足を踏み入れるような場所ではありません。汚れた町として知られていたからです。ユダヤ人とサマリア人が犬猿の仲であったことは有名です(ヨハネ4:9)。しかし、フィリポはあえてその町に福音を携えて行きました。
確かにそれは迫害を逃れるためという消極的な理由であったかもしれません。サマリアならば、ユダヤ人の迫害の手も伸びてこないでしょう。しかし、たとえそういう消極的な理由でサマリアに行ったとしても、そこで福音を語る機会を新たに得たところに、人間の思いを超えた神の働きがあるということでしょう。
奇しくも、イエス・キリストが弟子たちにおっしゃられた通り、「(あなたがたは)エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という言葉が成就したのです。