2012年6月28日(木)神からか人からか(使徒5:33-42)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
イエス・キリストの時代を前後するユダヤの歴史を調べてみると、その当時十字架刑によって処刑された人は、イエス・キリストの他にも、多数いたことがわかります(ヨセフス『古代誌』20巻102、『戦記』2巻253)。しかも、イエス・キリストは別として、そうした人たちのほとんどは、処刑されることを覚悟の上で、あえてローマの支配に対して反抗した人々でした。そう言う意味では、ユダヤ人たちからは英雄扱いされてもよいような人たちだったはずです。しかし、十字架に架けられたすべての人がメシアとなったわけではありません。いえ、イエス・キリストだけが、同じ十字架にかけられながら、まったく違った意味の死を遂げられたのです。つまり、ローマ帝国の支配に対する抵抗の死ではなく、人類の罪を背負った身代わりの死だったのです。聖書によれば、それこそが神の御心でした。だからこそ、その当時何人もの人が十字架で命を落としたとしても、イエス・キリストの他には誰ひとりとして人々の記憶には残ることができませんでした。そしてメシアとしての信望を集めることもできませんでした。
さて、きょう取り上げようとしている個所には、ガマリエルという人物の判断が示されています。この人もまた歴史の中に神の御心を冷静に読み取ろうとする人でした。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 5章32節〜42節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。
前回の学びでは、ユダヤ最高法院で堂々と弁明する使徒たちの姿を学びました。使徒たちの思いは一貫していました。それは人に従うよりも神に従うべきだ、という思いです。もちろん、ユダヤ最高法院の言うことはいつも人間の策略に満ちていて、聞き従うに値しない、という意味ではありません。彼らとても、会議を通して神の御心が明らかになることを望んでいたはずです。しかし、使徒たちに命の言葉を語らせることを禁じる会議の決定は、使徒たちにとって、それが神の御心とはどうしても納得できなかったということです。だからこそ、そのような人間の決定には従うことができないと、使徒たちは神に従う道を選んだのでした。
使徒たちにとって、自分たちが目撃したイエス・キリストの十字架と復活と、それに続く聖霊降臨の出来事は、それらを神からのものではないと言い切ることは、およそ不可能なことでした。最高法院の人たちでさえ、それが神から出たものではないことを、理路整然と使徒たちに解き明かしたわけではありません。使徒たちの体験をやみくもに否定して、力でもって黙らせようとするばかりでした。
そのような説得力のない命令に聞き従うことができないのは当然です。使徒たちは最高法院の尋問に対しても、堂々と神の御心を語り続けました。
さて、きょうの個所は、使徒たちの弁明に対して、最高法院がどのような方策を論じたか、ということが記されています。
使徒たちの弁明に対して、混乱に陥る会議の様子がまず描きだされています。
「これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。」
「殺そう」などと短絡的に考えるのは、まったく理性を失った人のすることです。このようなユダヤ最高法院の混乱ぶりは、実は、イエス・キリストを処刑しようと謀ったときもそうでした。マルコ福音書14章1節によれば、過越祭の二日前に、祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていました。イエス・キリストに対して謀ろうとしたことを、今またその弟子たちにもしようとしているのです。
けれども、ユダヤ最高法院のメンバーすべてがその考えに同調していたというわけではありませんでした。ファリサイ派の議員、ガマリエルが立ち上がり、異を唱えたのです。
このガマリエルという人物は、ユダヤ教の有名なラビ、ヒレルの系統を受け継ぐ人物で、ユダヤ教の文書ミシュナーにも七回ほど名前が登場する人物です。実はパウロもこのガマリエルのひざ元で律法の教育を受けたと、パウロ自身が語っています(使徒22:3)。
このガマリエルが求めたことは、使徒たちの行っていることが、果たして、人間的な運動にすぎないのか、それとも神から出た業なのか、その冷静な判断でした。では、その判断をどこに求めようとするのか、というと、過去の歴史的な出来事に目をとめるようにというものでした。
イエス・キリストの時代を前後して、ローマ帝国の支配からユダヤ民族の独立を勝ち取ろうとする動きは、高まりつつありました。その最終的な結末はこの使徒言行録の時代よりもずっとあとになりますが、ついにはローマ軍によるエルサレムの陥落という事態に発展します。
しかし、それに先立つそれまでの時代にもローマ帝国の支配に対する抵抗は試みられてきました。
ガマリエルはそのうちの二人の人物を例に挙げています。一人はテウダで、もう一人はガリラヤのユダです。テウダが歴史上のどの人物に該当するのかははっきりしませんが、ガリラヤのユダの方は、ユダヤの歴史家ヨセフスによれば、この人こその熱心党の生みの親とも言うべき人物です。
この二人は、少なくともガマリエルの判断によれば、もはや影響力のない勢力になってしまったということです。いっときは民衆を扇動し、一大勢力にもなりそうな勢いがあったとしても、結局は長続きしなかったというのです。
つまり、ガマリエルによれば、神から出たものでなければ、使徒たちの運動もやがて消滅してしまうので、自分たちがあえて手を出さなくてもよいという結論です。
一見、自分たちの判断を一時的に停止してしまう無責任な発言とも取れますが、しかし、今の時代からガマリエルの時代を振り返ってみれば、彼こそもっとも冷静で正しい判断を下したと言えるでしょう。ガマリエル自身はキリスト教が神からのものであるのか、人からのものであるのか、明言しませんでしたが、歴史がその答えを雄弁に語っています。