2012年5月31日(木)分かち合う生活(使徒4:32-37)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
先日、大変興味深い番組を見ました。『ヒューマン なぜ人間になれたのか』と題するスペシャル番組です。その第四集でお金の問題が取り上げられていました。
ものを交換するということは、他の動物には見られない人間独特の営みだそうです。原始的な物々交換は、やがて交換のなかだちを担うお金を生み出すようになったというのです。その結果、たくさんの職業が発達し、飛躍的に生産性が向上し、人々は将来への蓄えと将来への夢を抱くことができるようになったというのです。しかし、その反面、貧富の格差が生じたというのも事実です。
ところが、この貧富の格差をなくすために、ただ平等にすべてを分配すれば、世の中うまくいくのかというと、それがそう単純ではないようです。これは人間にとっては永遠のテーマであるような気がしますが、しかし、神の国が完成するときには、もうこのような問題で悩むことはなくなるのだと思います。
きょう取り上げようとしている個所には、原始キリスト教会の人々の生活が描かれています。そこには理想的とも思える、人々の分かち合いの生活の様子が記されています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 4章32節〜37節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ・・「慰めの子」という意味・・と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
前回までの学びでは、「美しい門」のところにいた足の不自由な男をペトロたちが癒したことをきっかけに起こった、一連の騒動とその結末を見てきました。ペトロたちの活動を抑え込もうと脅しにかかるユダヤ最高法院と、その脅しには決して屈することがないペトロとヨハネの態度が印象深く描かれていました。キリストの教会は打たれれば打たれるほど強くなり、まわりからの信頼も勝ち得ていきます。
きょうの個所には、そうした教会の様子が活き活きと描かれています。
まず最初に描かれているのは、彼らが心も思いも一つにしていたということです。それは信徒たちが思うこと考えることは一つしかなかった、という意味ではないでしょう。集まった人の数だけ、抱く思いも、与えられている才能も異なっていたに違いありません。しかし、それでいて、そこに集まる人々の個人的な思いや趣味趣向によって教会がばらばらにはならなかったということです。いえ、ばらばらにならなかった、という消極的なことではなく、ある目的のもとに一つとなりえたということでしょう。それも、違いが妨げになることなく、かえって違うからこそ互いに互いを必要とし、ちょうど体が多くの部分から成り立っていても統一性が取れているように、そのように初代教会の人々は統一性のある集団だったのです。
彼らが心も思いも一つにしていた、ということがもっとも顕著な仕方で現れていたのは、だれ一人として持ち物を自分のものだと主張する者がなかったという点です。たいていの争いの根源には、所有をめぐる争いが横たわっています。それはモノに対する所有もそうですが、権威や支配権を誰が持っているのか、ということに対する争いも含まれます。いったんそんな争いが始まれば、いとも簡単に集団の結束は失われてしまいます。そう言う意味で、教会は心も思いも一つであったのです。
けれども、使徒言行録が記している「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」という記述は、初代教会の信徒たちが、所有権を放棄して、すべてを共有していたということを必ずしも物語っているのではありません。たとえ自己主張できたとしても、それをあえてしなかったのです。あとで見るように、ペトロはアナニアとサフィラ夫妻に対して「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか」と諭しています。この言葉から分かる通り、教会は信徒たちに強要して財産を処分させたり、所有権を放棄させたりしていたのではありません。あくまでも自発的に互いの必要を満たすために、持ちものを分かち合っていたのです。
使徒言行録が描く初代教会の特徴は、ただ、信徒たちが持ち物を分かち合っていたということばかりではありません。
「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」ということが特筆されています。
教会はただ信徒同士が生活を支え合うための集団ではありません。教会には伝えるべきメッセージがあります。それは主イエスが死者の中から甦ったことを伝える復活のメッセージです。もちろん、そのメッセージは、イエス・キリストが復活したという事実を証することがその内容ですが、当然、その証しには、キリストの復活が意味している救いのメッセージが含まれています。
教会から救いのメッセージを取り上げてしまったならば、それはもはや教会としての存在意義が失われてしまいます。この世に対して、キリストの与える救いを大胆に語り続けてこそ、教会です。
この大胆な証しに対して、「皆、人々から非常に好意を持たれていた」と結ばれています。この点に関しては、少し説明が必要に思います。原文では、「大いなる恵みが、彼ら全員の上にあった」と結ばれています。「恵み」という言葉は、確かに「好意」という意味もあります。神から寄せられる「好意」はまさに「恵み」以外の何物でもありません。
しかし、新共同訳聖書はこの言葉を神からの好意ではなく、人からの好意と理解しています。おそらく2章47節に記されている「民衆全体から好意を寄せられた」という言葉から、そのように解釈したのだと思われます。しかし、ここではおそらく民衆の好意ではなく、神の恵みが皆の者たちの上にあったという意味だと思われます。
使徒言行録が記す初代教会の特色の最後は、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった」という特色です。これは先に述べた「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」ということの当然の結果であることは言うまでもありません。しかし、自分の所有権を主張しないで、持ち物を共有するだけでは、貧しい者がいなくなるわけではありません。もう一歩踏み込んだ積極的な捧げものがあったからです。それは、土地や家を持っているものがそれを売り払って、足りない必要を、必要に応じて満たしたからです。
教会はこの自発的な捧げものによって、必要が満たされていったのです。この自発的な捧げものこそが、教会の特徴ということができるのです。