2012年5月10日(木)捨てられたが、隅の親石となったお方(使徒4:1-12)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
使徒言行録を読んでいて、一番印象に残るのは、教会が活き活きと活動をしているということです。そういうと、まるで現代の教会が暗く沈んでいるように聞こえてしまいますが、もちろん、そんなことはありません。ただ、初代教会の時代は、直面する事柄が、教会にとって初めて経験する事態であることが多く、緊張感や高揚感が読んでいて伝わってきます。
歴史が長くなれば、経験を積むことが多くなり、その分、緊張感や高揚感が薄れていくのは、仕方のないことかもしれません。しかし、そのことが、教会が外へ向かって押し出されていく力をそいでいるのであれば、とても残念なように思います。
きょう、これから取り上げようとしている個所には、教会が初めて直面する困難に、堂々と立ち向かう使徒の姿が描かれています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 4章1節〜12節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
きょう取り上げた個所も、「美しい門」のところいた足の不自由な人を癒した事件から続く話です。ペンテコステの日の出来事から、まだそれほど経ってもいないというこの時期に、早くも使徒たちに対する迫害が始まります。迫害と言えば大げさかもしれませんが、しかし、捕らえられた上に、一晩、牢に監禁されたとなると、これは教会にとって決して小さな事件ではありません。
考えてもみれば、イエス・キリストを逮捕して、十字架で処刑してしまったあのときから数えても、まだほんのふた月も経たない時のことです。ペトロやヨハネがイエス・キリストの弟子であったことは、人々にはよく知られていたでしょうから、その男たちの周りに大勢の民衆が結集しているのを見れば、黙って手をこまねいているわけにはいかないと、ユダヤの指導者たちが思うのも当然でしょう。
やってきたのは、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々でした。ペトロとヨハネと癒された男がいたのは、まだエルサレムの城壁の内側でしたから、神殿の治安を気にする当局の人たちがやって来るのも無理はありません。
いったい彼らがどれくらい使徒たちの話を立ち聞きしたのか分かりません。少なくとも使徒たちが語っていることは、自分たちが裁判にかけて処刑したイエス・キリストにかかわることであることは分かりました。しかも死んだはずの人物が復活したなどと触れまわっています。彼らの苛立ちも相当なものだったに違いありません。特に復活などあり得ないという信念を持っているサドカイ派の人たちにとっては、使徒たちの話はまったくの作り話としか思えません。そんな作り話で民衆を惑わしているのだとすれば、これは放っておくわけにはいきません。
早速逮捕して、翌日まで牢に勾留します。牢に勾留したのは、懲らしめるためというよりは、すでに日が暮れていたからです。ペトロたちが祈りのためにエルサレムの神殿にのぼったのは午後の三時ごろでしたから、ここまでにすでに数時間の時が流れていることになります。会議を招集して尋問するには時間が遅すぎます。
もちろん、黒山の人だかりを作る原因となったペトロたちを民衆から引き離して、投獄しておけば、騒ぎも収まるだろうというもくろみもあったかもしれません。
しかし、祭司長たちの思惑とは裏腹に、このことをきっかけに、教会に加わる人の数は、五千人にも上っていました。これは新たに五千人加わったということなのか、先のペンテコステの時に加わった三千人から二千人増えて五千人になったという言う意味なのか、詳しくは分かりません。どちらにしても少ない数字ではありません。そのことは、いっそう当局の人たちをいらだたせたに違いありません。
さて、翌日さっそくエルサレムで会議が招集されます。集まった顔ぶれから推測すると、これはまさにイエス・キリストを十字架につけるための裁判を行ったユダヤ最高法院の同じメンバーたちに違いありません。これは使徒たちにとって大変な事態です。使徒たちは尋問を受けるために真ん中に引き出され、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と弁明を迫られます。
イエス・キリストが尋問されたときのペトロであったなら、尋問に怯えて、逃げ出していたかもしれません。しかし、今度は違います。その場を逃げ出さないどころか、堂々とした態度で答えます。それは、イエス・キリストが約束してくださったように、聖霊が語るべき言葉を口に授けてくださったからです。
ペトロはこの弁明の機会を巧みに捉えて、十字架と復活のイエス・キリストについて語り始めます。ペトロにとって人々を前にキリストについて語るのは、これで三度目です。今回もまた聖書の言葉から引用して、イエスこそがメシアであることを雄弁に証しします。
今回、ペトロが引用したのは詩編118編からです。ただし、詩編の言葉通りに「家を建てる者」とは言わずに、「あなたがた家を建てる者」と言い換えて、議会に集まった人々に直接この言葉を当てはめています。
主イエス・キリストはユダヤ人たちの指導者によって捨てられましたが、しかし、捨てられたと見えるこの石こそが、建物をささえる隅の親石として、神がお立てになったのです。
もちろん、この詩編をメシアと結びつけて解釈したのはペトロが初めてではありませんでした。それは主イエス・キリストがすでに「ぶどう園と農夫のたとえ」(マルコ12:1-12)をお語りになった時にお示しになった解釈でした。この捨てられたと見えるイエスこそが、遣わされたメシアとして立てられているのです。そして、そのことを、イエスの御名によって歩けるようになった男の存在が雄弁に物語っているのです。
ペトロは「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と弁明の言葉を結んでいます。この確信は、教会が今もなお語り続けている、大切なキリスト教の教えです。