2012年2月16日(木)主が再び来られるときまで(使徒1:6-11)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 キリスト教に関して、しばしばそれが外国の宗教であるということが強調されます。そして、そういうことが強調される時には、だから日本人には合わない、という結論がそこから当然のように引き出されます。
 しかし、キリスト教が普遍的な真理にかかわる教えであるとすれば、外国のものであろうが、国内のものであろうが、真理は真理以外の何物でもないはずです。それを受け入れるか受け入れないかは、自分に合うか合わないかの問題ではないはずです。
 そもそも、初代キリスト教会の人々が、イエス・キリストの教えを伝えるときに、それがユダヤ民族の伝統や文化と切り離すことができないものとして伝えたかというと、そうではなかったはずです。もしそうであったとすれば、世界に広がることはほとんど不可能であったと思われます。逆にいえば、初代キリスト教会の人々が、自分たちの教えを、民族を超えた普遍的な真理と意識することができたからこそ、パレスチナの地を超えて広めていくことができたともいうことができます。しかし、このようなグローバルな意識は弟子たちに最初から備わっていたものではないようです。彼らの意識がどのように変えられていったのか、この使徒言行録を読むうえで興味をそそられるポイントであると思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 1章6節〜11節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

 きょう取り上げた個所は、死者の中から復活したイエス・キリストが、復活の時から40日たったあとに、いよいよ父なる神の身許に帰っていく場面です。キリスト教会では「キリストの昇天」という言葉でこの場面を表現します。

 きょうの場面は前回取り上げた個所と一体になっていて、同じ日の出来事であるのか、別の日の出来事であるのか、判別しがたい構成になっています。というのも、イエス・キリストが弟子たちに聖霊が降ることを約束されたのは食事の席でのことであったと記されていますが、それに対して、きょうのキリストの昇天を描く画面では、いつの間にか場所が屋外に変わっているからです。その場所は12節の記述から推定すると、オリーブ山での出来事です。しかもきょうの個所の冒頭に記された弟子たちの質問は、明らかに食事の席で述べられた聖霊降臨の約束を受けてのことですから、食事と昇天の場面は一体のような印象を受けます。
 しかし、実際には、前回取り上げた5節のキリストの言葉と、きょう取り上げた6節の弟子たちの質問との間には、場所の移動と時間の経過があったのだと思われます。ちょうど、最後の晩餐の時に、食事の後で弟子たちと共にオリーブ山に行かれたように、この時もエルサレムでの食事のあと、オリーブ山に向かわれたのでしょう。
 もっとも、キリストの昇天が復活の日から数えて40日目の出来事だとすると、それは木曜日ということになります。そうすると12節に記されているオリーブ山からエルサレムに弟子たちが戻ったのは、安息日の出来事のようですから、木曜日の出来事から二日も経っていることになります。実はキリストの昇天の出来事を記す9節と、弟子たちがオリーブ山からエルサレムに戻るまでにも時間の経過があったということになります。
 言い換えれば、使徒言行録の作者にとっては、場面や時間の移り変わりを正確に描くよりも、今は天におられるキリストが、弟子たちに聖霊降臨の約束を与え、弟子たちのなすべき使命を明らかにされたという事実のこそが伝えたい事柄であったということでしょう。

 さて、時間と場面の経過はさておくとして、最後の晩餐のあとでオリーブ山に向かわれた時には、ゲツセマネの園で祈っていたイエス・キリストはユダの裏切りによって捕えられてしまいました。しかし、今度は前回の繰り返しではあり得ません。

 そういう思いもあって、弟子たちは「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と力を込めて尋ねたのでしょう。
 この弟子たちの発言には民族的な期待が色濃く出ています。そう言う意味では、ルカによる福音書24章に登場する、エマオへ向かう弟子たちが抱いていた期待が再び頭をもたげてきているといってもよいでしょう。彼らはキリストに対して「あの方こそイスラエルを解放してくださる」と望みをかけていたのです(ルカ24:21)。その民族的な期待から一歩も外へ心が向かっていない弟子たちです。

 イエス・キリストはこの弟子たちの問いかけを無下に否定はしませんでした。しかし、肯定もしませんでした。それよりも、神の国の完成の時、終わりの時に関しては、父だけが主権をもって定めておられることを弟子たちに諭されました。このことは、すでに弟子たちに教えておられたことで、けっして初めて耳にすることではなかったはずです。イエス・キリストは世の終わりについてお語りになるときに、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。(マルコ13:32)とかねてからおっしゃっていたからです。

 キリストが弟子たちの思いを正されたのは、「時」についての思い違いばかりではありませんでした。「イスラエルのため」という民族意識についても思いを正されました。弟子たちの思いをエルサレムから文字通り世界へと向けさせました。

 「(あなたがたは)エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 キリストが勝ち取ってくださった救いの恵みは、ただイスラエルのためだけのものではありません。その救いの出来事は全世界に向かって告げ知らせるべきものなのです。

 けれども、キリストは弟子たちに対して「わたしの証人となれ」と命令されたのではありません。「あなたがたはわたしの証人となる」と予告なさったのです。

 実際、この後展開される神の国の福音の広がりは、必ずしも弟子たちの自発的な行動によってもたらされたものではありませんでした。エルサレムからユダヤ、サマリアに福音が広がっていったのは、ステファノのことでエルサレムでキリスト教に対して迫害が起こったからでした(使徒8:1)。もちろん、迫害によってただ散らされていっただけではありませんでした。イエス・キリストが約束してくださったように、聖霊が降り、力を受けたからこそ、行く先々で復活のキリストの証人となることができたのです。そうした聖霊の導きの中でこそ、弟子たちは世界に開かれた使命を自分のものとして持つことができたのです。この同じ聖霊は今もなお、わたしたちを外へと押し出し、派遣してくださるのです。