2012年1月26日(木)結びの挨拶(ローマ16:1-16)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
名前というのは、ある意味、記号にしかすぎません。記号自体に意味があるのではなく、その記号が表している本体の方こそ大切です。人の名前を度忘れしてしまうことがあっても、その名前が表しているその人本人を忘れてしまうということは、めったにないことです。逆に名前は覚えているのに、それが誰のことだかわからない、ということはまずあり得ないことです。もしあるとすれば、その人のことを最初から知らないか、会ったことがないかのどちらかでしょう。そういう意味では、実際会ったこともない人の名前だけを聞かされても、なかなか覚えられないものです。
聖書を読んでいて大変なのは、一箇所に聞いたこともない人たちの名前が集中して出てくるときです。きょう取り上げようとしている個所は、まさに名前の羅列のように感じられてしまう個所です。しかし、その名前と共に記されているわずかな情報から、その名前が指し示している人物を思いめぐらすことで、当時の教会の活き活きとした様子を想像してみることができると思います。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ローマの信徒への手紙 16章1節〜16節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。
ローマの信徒への学びもいよいよ最後の章になりました。このローマの信徒への手紙16章には、ローマの教会にいる様々な知り合いへの個人的な挨拶の言葉が述べられています。その個人的な挨拶の言葉の前に、一人の女性をローマの教会の人々に紹介した言葉が記されています。その女性の名はフェベといい、ケンクレイアイの教会で奉仕者をしていた人物です。ケンクレイアイという町はコリントの南東にある港町で、使徒言行録18章18節によれば、パウロは二回目の宣教旅行の時、この町で誓願のために髪を切り、エフェソを経てアンティオキアに戻りました。その時、あとにも名前が出てくるプリスキラ(プリスカ)とアキラも一緒でしたから、フェベはこの二人とも顔見知りであったと思われます。
港と言えば、物ばかりではなく、人の行き来も盛んです。そういう港町にあった教会のことですから、様々な人の出入りがあったり、また、様々な人の世話をするということもあったでしょう。フェベはそうした港町「ケンクレアイの教会の奉仕者」であると紹介されています。「奉仕者」と訳されている「ディアコノス」という言葉は、後に教会の「執事」の職務を表す言葉となります。もちろん、この手紙の書かれた時代に、教会の中に「執事」という職務があったのかどうかは分かりませんが、いずれにしてもフェベが人々の世話をして仕える働きをしていたことは疑いようもありません。その奉仕の働きを通して多くの人たちの援助者となっていたようです。
パウロにとってもフェベは「わたしの援助者」であると呼ぶにふさわしい人物でした。
パウロが最初にフェベの名前を挙げて紹介しているのには、理由があったはずです。その理由とは、おそらく、このフェベがパウロの手紙を持ってローマの教会を訪れようとしていたからでしょう。
さて、3節以下には、ローマの教会にいた人々への挨拶の言葉が続きます。一人一人に添えられたコメントの言葉を読むと、これらの人たちは既にどこかでパウロと顔なじみであったことが分かります。そうした人々の名前が26名、それらの家の人たちも含めると少なくとも30名以上の人々への挨拶のことばが続きます。
そこに登場する人のほとんどが、聖書の中ではここにしか名前の出てこない人たちですので、ここに書かれている以上のことを知る手掛かりはほとんどありません。しかし、こうして一人一人の名前を挙げて挨拶の言葉を述べているのを読むと、パウロにとってまだ一度も訪れたことない教会とは言え、既にそこには多くの知り合いたちがおり、当時の教会の交わりの広さを感じます。
また、女性たちの名前も見られますので、男性中心の構造が一般的であった当時の社会を考えると、キリスト教会での女性の働きの大きさを改めて思わされます。
これらすべての人物について、きょう取り上げることはできませんので、最初に名前が挙げられているプリスカとアキラについて、少しだけ触れておきたいと思います。
この二人については、使徒言行録の中にも名前が出てきますので、初代教会の中では良く名前の知られているクリスチャン夫妻です。パウロとの出会いは、二度目の宣教旅行の時にパウロがコリントに滞在していた時のことでした。クラウディウス帝によってユダヤ人たちがローマから追放されたときに、この二人はローマからコリントにやってきていました。パウロと同じテント造りを仕事としていましたので、コリント滞在中のパウロはこのプリスカとアキラ夫妻の家に世話になっていました。(使徒18:1-3)。ちなみに使徒言行録ではプリスカはプリスキラと呼ばれています。
さて、ローマに戻った夫妻は自分の家を提供して集会の場所としていたようです。パウロは彼らについて「異邦人のすべての教会が感謝しています」と述べるほど、その働きを大きく評価しています。
手紙の最後に記されたわずかな挨拶の言葉ですが、そこに記された人々の働きを通して、ローマの教会が活き活きと成長している様子を想像することができます。