2012年1月19日(木)パウロの宣教計画(ローマ15:22-33)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 この一年間でわたしが移動した距離はざっと、地球二周分にあたる八万キロを超えました。もっともそのほとんどは飛行機と電車による移動ですから、自分はただ乗っているだけのことです。実は徒歩での移動はそのうちの千二百キロにも及びません。
 もしパウロが今ここにいてこの話を聞いたとしたら、きっと二重の意味で驚くに違いありません。まず第一にわずかな時間で世界を駆けまわることができる現代の伝道者に驚きとうらやましさを感じることでしょう。と同時に、ほとんど自分の足を使わない現代の伝道者を見て、本当にそれで伝道できるのかと、驚き怪しむに違いありません。
 初代教会の中で、パウロほど自分の足を使って福音伝道をした人はいないでしょう。もちろん、船には乗りましたが、それを差し引いたとしても、あれほどの距離を福音伝道のために自分の足で回ったのは、驚きと言うよりありません。パウロと同じ時代の人と比べても、たくさんの距離を移動したのではないかと思います。

 きょう取り上げようとしている個所を読むと、パウロにはさらに遠くまで福音を述べ伝えたいという志を抱いていたことが分かります。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ローマの信徒への手紙 15章22節〜33節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。
 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、”霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。

 パウロがこの手紙を書いたのは、コリント滞在の時であると考えられています。貧しい聖徒たちへの献金を携えてエルサレムへ向かう前に、三か月をその町で過ごした時のことです。年代で言うと紀元57年の春頃のことです。
 使徒言行録19章21節によれば、パウロはエルサレムに行った後、ローマにもぜひ行きたいという願いを抱いていますので、きょう取り上げた手紙の内容とも一致しています。

 ローマ訪問の希望は、すでにこの手紙の冒頭でも述べられていましたが、何度も妨げられてきたようです(1:13、15:22)。妨げられてきたその理由は、具体的には記されていません。しかし、想像してみればわかる通り、パウロには小アジアやマケドニア州、アカイア州での働きが、とても手を放せるような状態ではなかったというのも真実であったと思われます。
 コリントの信徒に宛てた手紙の中で、パウロは自分が伝道にあたって経験した様々な苦労を記していますが、その最後に「日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事」(2コリント11:28)を挙げています。これはけっして大げさな表現ではないでしょう。実際パウロにとっては、それくらい手が離せない状態だったのです。
 もちろん、これから携えて行こうとしているエルサレムの教会の貧しい信徒たちへの献金を集めることにも忙しかったというのもあったでしょう。

 しかし、それらのことに見通しがたった今、ようやくローマ訪問の計画が実現しようとしているのです。パウロは「しかし今は、もうこの地方に働く場所がない」と述べて、地中海北東部の伝道に一段落がついたことを告げます。すでに先週取り上げた個所でも、パウロはこう述べています。

 「こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました」(15:19-20)。

 パウロたちの働きによって、地中海北東部の地域、「エルサレムからイリリコン州」は、もはや「キリストの名がまだ知られていない所」ではなくなった今、パウロに与えられた福音宣教の使命は終わりを告げたのではく、まさに新たな「キリストの名がまだ知られていない所」を目指して広がって行く新しい段階に差し掛かっていたのです。
 パウロは今まで何度もローマを訪問する計画を妨げられてきましたが、そのことは地中海北東部での伝道に終わりが見えてくるよりも前から、ずっとパウロがこの計画を抱き続けてきたということでもあると思います。イエス・キリストがお命じになったように、すべての民をキリストの弟子とするために、地の果てにいたるまで福音宣教に携わる使命をパウロはしっかりと抱いていたということです。

 ところで、パウロはこのローマ訪問の計画を「イスパニアに行くとき、訪ねたい」と語っています。これでは、ローマの訪問は、ついでの訪問という印象を与えてしまうかもしれません。確かにパウロの目はローマに注がれているのではなく、それよりも西の地域に向いています。それはローマには既に教会があり、「キリストの名がまだ知られていない所」ではないという事実から考えれば当然のことです。

 しかし、パウロがローマの教会を訪ねるのは、文字通りのついででは決してありません。パウロは訪問の目的をこういう言葉で言い表しています。

 「しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。」

 「送り出してもらいたい」という言葉の中に、ローマの教会が果たすべき役割に対する期待が込められています。もとより福音宣教の働きはパウロ個人の事業ではありません。教会が主体となって推し進めるべき働きです。地中海西部へと福音を広める働きには、ローマの教会を拠点として、そこから送り出されることが大切です。今までアンティオキアの教会がパウロの宣教旅行を支えたように、今またローマの教会を拠点として、福音が地中海西方世界、スペインにまで達することをパウロは願っているのです。