2011年2月10日(木)空の墓を見た婦人たち(ルカ24:1-12)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 キリスト教会が日曜日に礼拝を守るのは、その日がキリストが死者の中から復活された日だからです。それまでのユダヤでは安息日に、つまり金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日でしたから、その間に神を礼拝する集会を持ちました。
 もちろん、キリスト教会はいきなり安息日の礼拝を捨てて日曜日の礼拝へと切り替えたのではありません。使徒言行録を読む限り、安息日の集会にも集っていたようです(使徒13:14、16:13)。しかし、早い時期から、週の最初の日、つまりキリストが復活された日曜日にも集会を持っていたことは紛れもない事実です(使徒20:7、1コリント16:2、黙示録1:10)。
 ところで、礼拝の曜日を変えるということは、相当な強い理由がない限り実現出来ないことです。つまり、キリストの復活がなければ、あえて日曜日に集会をもつ必然性はどこにもないのです。言い換えれば、キリスト教会が日曜日に礼拝を守っていること自体が、キリストの復活を力強く証ししていると言うことができると思います。
 きょうは、そのキリストの復活の出来事についてご一緒に聖書から学ぼうとしています。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ルカによる福音書 24章1節〜12節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

 ルカによる福音書によれば、ガリラヤから来た婦人たちが、日曜日になってキリストの遺体を納めた墓にやってきたのには、理由がありました。それはイエス・キリストの葬りを完成させるためでした。
 先週取り上げたルカ福音書23章54節以下に記されていた通り、イエス・キリストの遺体を十字架から取りおろして墓に納めたのは、既に安息日が始まろうとしていた金曜日の日没近くでした。安息日には何の仕事もしてはならないというのがユダヤ人の習わしでしたから、大急ぎで墓にイエス・キリストの遺体を納めたということが分かります。婦人たちはその日は家に帰って、香料と香油を準備して、安息日があけるのを待ちました。そこまでが先週取り上げた個所に記されていたことです。
 さて、ルカ福音書の24章は準備しておいた香料と香油をもって、朝早くからイエスの墓に向かう婦人たちの様子を描くところから始まります。この時点で、婦人たちに頭の中には、イエス・キリストの墓が空になっているという予想などまったくありませんでした。まして、キリストが復活しているという期待すらなかったようです。もし、その様な期待があるとすれば、そもそも香料と香油を準備して墓に出向くなどということはなかったでしょう。

 もっとも、イエス・キリストは、事が起こる前から弟子たちにご自分の復活について話してこられました(ルカ9:22、18:33)。確かに弟子たちはこのことを誰にも口外しないようにと口止めされていましたが(ルカ9:21)、婦人たちも耳にしていたのでしょう。後で出てくる御使いたちの言葉は、婦人たちもイエス・キリストが復活について予告なさっていたことを知っていることが前提になっています。また、事実、婦人たちはキリストの言葉を耳にしていました(ルカ24:8)

 とすると、弟子たちも婦人たちも、イエス・キリストが復活されるということを予告されていたにも関わらず、そのことを信じることもできず、また期待することもなかったということです。
 それも無理もないことです。自分たちの見ている目の前で十字架にかけられ、息を引き取ったのを確かに見届けたのですから、復活が起こることを期待する希望が完全に打ち砕かれていたと言っても無理のないことです。

 しかし、だからこそこの復活の出来事を記した記事にはリアリティがあるとも言えます。
 考えても見れば、キリストの復活を期待して墓に向かった婦人たちの話であれば、誰がそのいうことを信用するでしょうか。婦人たちのあまりにも強い期待が、復活という出来事を空想させたのではないか、とさえ疑われてしまいます。しかし、事実はそうではありません。この婦人たちでさえ、自分たちの常識を超えてまで、キリストの復活を最初から期待していたのではなかったのです。

 言ってみれば、復活への過度の期待がキリストの復活を空想させたのではなく、キリストの復活という事実が、常識では期待することのできない復活の信仰へと婦人たちを変えたのです。

 ところで、婦人たちが目撃したのは、復活したキリストご自身ではありませんでした。あるべきはずのキリストの遺体がなくなっている空の墓でした。お墓が空っぽであるということは、必ずしも復活の証拠ではありません。そうであればこそ、空の墓を目にして、婦人たちも最初は途方に暮れるしかなかったのです。

 ではどうして墓が空っぽであるという事実から、キリストの復活を確信するように変わったのでしょうか。それはその場に居合わせた天使が、キリストの言葉を思い起こすようにと婦人たちを促したからです。
 確かに婦人たちはその時復活したキリストご自身を目撃したわけではありません。そう言う意味では、キリストの復活は婦人たちの思い込みではないか、と言われても仕方ないかもしれません。実際、この婦人たちの報告を受けた使徒たちも、婦人たちの言っていることがたわごとのように思われたので最初は信じませんでした。

 ただ、この婦人たちのすぐれているところは、動かしがたい証拠によってキリストの復活を信じたのではなく、空の墓を前にして、キリストが語っていた言葉を思い起こして、復活を信じるようになったということです。そもそも信仰とは証拠によってだけ生まれるものではありません。神の言葉に対する信頼と従順な思いがなければ、どんな証拠があっても信仰は生まれないからです。

 キリストの復活は、実際に復活のキリストに出会った弟子たちの口によって、その出来事が確かに起こったということが証言されています。しかし、婦人たちは復活のキリストに出会ったからではなく、キリストの言葉への従順と信頼とから、他の弟子たちよりも早くキリストの復活を確信したのです。