2011年2月3日(木)墓に葬られるイエス(ルカ23:50-56)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
使徒パウロが最も大切なこととしてコリントの教会の人たちに伝えたのは、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」でした(1コリント15:3-4)。この場合、キリストが「葬られたこと」というのは、他の二つのことと比べると、つまり、キリストが「わたしたちの罪のために死んだこと」と、キリストが「復活したこと」と比べると、「最も大切なこと」と言うほどのことでもないように感じられます。
しかし、キリスト教会が古くから告白してきた「使徒信条」の中にも、このキリストが「葬られた」という事実が不可欠のことのように取り上げられています。
そして、きょう取り上げようとしている個所もまた、キリストの葬りについて記しています。しかも、ただ「葬られた」という事実を一行書きしるすのではなく、誰の手によって、どこにどのように葬られたのか、相当な分量をこの葬りの記事に当てています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ルカによる福音書 23章50節〜56節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
イエス・キリストは十字架に磔けられて息を引き取りました。
イエス・キリストの罪状書きは「ユダヤ人の王」でしたから、ユダヤ人の王として処刑されたということです。そのようなローマ帝国に対する謀反人の埋葬を進んで引き受けるということは、よほどのことがない限りあり得ないことです。謀反人の遺体を引き取って丁重に埋葬するとなると、下手をすれば謀反人の同調者とみなされかねません。まして、まだイエスの死が確認されたという報告がピラトのもとにもたらされたかされないかのうちに、遺体の引き取り方を願うとなれば、ひょっとしてまだ息のあるうちにイエスの体を持ち去ろうとしているのかもしれない、と誤解されかねません。
実際、イエス・キリストが息を引き取られたのは、十字架刑としてはかなり短い時間でした。普通なら丸一日以上の時間を苦しみ悶えた果てに息を引き取るのですが、イエス・キリストの場合は六時間という短さでした。
そこから思うと、イエス・キリストがほんとうに息を引き取ったのかどうか、怪しまれても当然です。
そうした誤解と危険を恐れずに、イエス・キリストの遺体を引き取りたいと願う人がおりました。その人物はユダヤの町アリマタヤ出身の議員、ヨセフでした。ルカ福音書によれば、ヨセフは「善良で正しい人」で、しかも、「同僚の決議や行動には同意しなかった」人物でした。ユダヤ最高法院でイエス・キリストが審問をうける場面は既に学びましたが、その時には、あたかも満場一致でことが決められたような印象を受けました。しかし、実際にはそうではなかったことが、この記事から明らかになります。
アリマタヤのヨセフは、同僚たちの決議に賛同しなかったばかりか、そうした自分の行動が正しいと思う確信が、イエスの遺体の引き取りを願うことの中にも表れています。ヨセフのとった行動は、ある意味で同僚たちのイエス・キリストについての間違った判断を暗に批判しているとも言えます。
さて、ピラトはピラトでヨセフの要求をそれほど躊躇した様子もなく受け入れてしまいます。
一つにはイエス・キリストが確実に息を引き取ったことは、ピラトのもとに既に報告が上がっていたからでしょう。ヨハネ福音書だけが記していることですが、イエス・キリストのわき腹は兵士によって槍で突き刺されて、その死が確認されています(ヨハネ19:33-34)。
もう一つには、ピラト自身もイエス・キリストの潔白さを確信していたからでしょう。そのことは裁判の中でピラトが繰り返し述べていることです(ルカ23:4,14-15)。ですから、イエスを重大な犯罪人のようには警戒していません。
つまり、遺体を引き渡すという何気ないこの記事から、イエス・キリストの死が確実であったということと、ピラトがイエス・キリストの潔白さを今なお疑っていなかったということとをうかがい知ることができます。
こうしてヨセフは引き取ったイエスの遺体を、まだだれも葬られたことのない墓の中に納めました。共同墓地ではなく、まだ誰も葬ったことのないお墓に…おそらくそれはヨセフ自身の所有の墓地だったのでしょう(マタイ27:60参照)。このことからも、ヨセフがイエス・キリストをどのような人物として葬りたかったのかをうかがい知ることができます。ヨセフはイエス・キリストを犯罪者としてではなく正しいお方として葬ろうとしていたのです。
さらに、これはヨセフ自身が意図したことではなかったでしょうが、誰も葬ったことのないお墓にイエス・キリストを埋葬したことは、キリストの復活が何かの勘違いであったという疑いの余地を払拭しています。
後に学ぶ通り、復活の日に発見された墓は空の墓でした。既に他の人の遺体が葬られている墓であるとすれば、たとえ復活が起こったとしても、そこに他の遺体がある限り、ほんとうにイエス・キリストの体だけが復活していなくなったのかどうか、その事実を疑う人の数はもっと多かったことでしょう。
最後に、ルカによる福音書はガリラヤからイエスに従ってきた婦人たちが、イエスの葬られた場所を見届けたことを記しています。
婦人たちが葬りの場所を見届けたのは、安息日が終わった後に、調達した香料と香油でイエス・キリストの葬りを完成させたかったからでした。安息日が明けて、他の墓に行ったのでは話になりません。言い換えれば、この婦人たちは、安息日が明けて、他の新しい墓に間違って行って、イエス・キリストの体がなくなっていると言って騒ぎを起こしたのではありません。
イエスのことをよく知っているガリラヤからの婦人たちが、イエスの死とその葬りの場所をしっかりと見届け確認したのです。
番組の冒頭で、使徒パウロの言葉を引用しましたが、そこにはパウロが最も大切なこととしてコリントの教会の人たちに伝えたことが記されていました。「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」でした(1コリント15:3-4)。
「葬られたこと」がなぜ最も大切な事柄の一つであるのかは、きょうの個所から十分に学び得たと思います。
キリストの葬りの記事は、イエス・キリストの死が確かなものであったことを十分に物語っているからです。そしてそのことは、後に起こるキリストの復活の確かさを証しするものでもあるからです。