2008年9月4日(木)飼い葉桶の中の救い主(ルカ2:1-7)

ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

新約聖書の四つの福音書の中で、イエス・キリストの誕生の次第を詳しく記しているのは、マタイによる福音書とルカによる福音書の二つだけです。しかも、この二つの福音書が取り上げているイエス誕生のエピソードはまったく違った内容のものです。ルカによる福音書では、これから学ぶとおり、家畜小屋での誕生と羊飼いたちの来訪の出来事が描かれます。マタイによる福音書では生まれた場所が家畜小屋であったかどうかは記されていません。また、赤ん坊のイエスのもとにやってきたのは、東の国からやってきた占星術の学者たちでした。あえて二つの記事の共通点をあげれば、二つともイエス誕生の舞台をベツレヘムとしていることです。そして、のちに「ナザレのイエス」として知られることになるイエスがベツレヘムでお生まれになった次第を、マタイ福音書は聖書の預言の成就として描くのに対して、ルカによる福音書は世界史の出来事の中に起こった神の救いの歴史として描きます。

それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ルカによる福音書 2章1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

ルカによる福音書にはイエス・キリストの誕生に関わる歴史的な背景が丁寧に描かれています。まずそれはローマ皇帝アウグストゥスの時代であると記されます。しかも、それはキリニウスがシリア州の総督であったときに最初に行なわれた住民登録のときであったと報告されます。ここまで丁寧な記録を読むと、すぐにでもイエス・キリストがお生まれになった年代を計算できるような気持ちになります。
確かにアウグストゥスという人物はローマ帝国の初代皇帝として、紀元前27年から紀元後14年まで皇帝の座にありました。しかし残念なことに「キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録」に関しては、他の歴史的な資料と突き合わせて確かめることができません。ルカによる福音書がせっかく詳しい歴史を残してくれてはいるのですが、残念なことに現代の読者にはそれが正確にいつのことなのかは知ることはできないのです。むしろイエスの誕生がヘロデ大王の時代であったことをさりげなく記しているマタイによる福音書の方が、かえってイエス・キリストの年代について大きなヒントを与えてくれています。ヘロデ大王がまだ生きている時代ですから、どんなに遅くとも紀元前4年よりも前の出来事です。

もっともルカによる福音書が住民登録の実施について触れているのは、ただ単にイエス誕生の年代のヒントを与えるためではありません。それは何故イエスがベツレヘムで生まれることになったのかという経緯を説明しているです。もし、このとき住民登録が行なわれていなければ、イエス・キリストはナザレで生まれていたはずです。くしくもこの住民登録のお陰で、イエスは預言の言葉どおり、ダビデの町ベツレヘムで生まれることになったのです。そのことの中に神のくすしい働きをルカは見て取っているのです。

そうした神の特別な導きを描きながら、ルカ福音書はイエス誕生の次第を描いているのですが、しかし、ルカ福音書が関心をもって描いているは、イエスが生まれた正確な年代そのものでもなければ、また、ベツレヘムで生まれることになった経緯そのものでもありません。

ルカが描いている救い主イエス・キリストの誕生は、まさに歴史の中に入り込んだ救い主の姿なのです。何かそれは天上の世界で起った救いの夢物語ではないのです。この世の歴史にしっかりと足跡を残す現実の出来事だったのです。
しかもそれは、イエスが歴史を自由に操ることができる支配者として登場するのではありません。むしろ、どこにでもいるような一人の人間として、しかも、強大な権力の下に翻弄される一人の人間としてお生まれになったのです。

そもそも住民登録が行なわれたのは、ローマ帝国の財源を確保するための税金をいかに集めるかという問題でした。そのために、か弱い妊婦であったマリアとその夫のヨセフも、皇帝の命令に従わざるを得なかったのです。その結果として、イエス・キリストもまた自分で生まれる場所をさえ選ぶことができなかったのです。
住民登録の命令を下したローマ皇帝アウグストゥスには「神の子」の称号が与えられていました。帝国のあらゆる権力を手にいれた神の子アウグストゥスと、その皇帝の権力のもとでお生まれになったまことの神の子イエス・キリストの姿とが対照的に描かれているのです。

ルカによる福音書はこうして泊まる宿もなく飼い葉桶の中で寝かされた救い主を、ローマ皇帝アウグストゥスと比べながら、堂々と描いているのです。
ルカ福音書が描く神の子は、もっとも低いところにまでやって来て下さるお方なのです。皇帝の座から命令一つで人を動かす神の子ではなく、人と同じように重荷を背負い、痛みも苦しみも味わうお方なのです。救い主ご自身が宿るところないお方であるので、身寄りのない者、宿るところのない者の友であることがおできになるのです。

神の子ローマ皇帝アウグストゥスの功績の一つとして後々まで称えられていることは、「ローマの平和」を打ち立てたことです。イエスが誕生された時代は、ローマ帝国全体が、このローマの平和の恩恵に与っていた時代でした。
しかし、すべての人々が十分に平和を楽しんでいたかというと必ずしもそうではありませんでした。支配下におかれた民族は重税に喘がなければなりません。特にユダヤ民族にとっては水面下にくすぶりつづける不満がありました。後にそれはユダヤ戦争へと発展し、エルサレムの神殿の崩壊へと繋がります。

この後ルカ福音書が書き記す天使たちの歌声は、「地に平和」を願うものでした。救い主イエス・キリストはローマの平和の中に生まれたのですが、しかし、地にまことの平和をもたらすお方として、まさにローマ皇帝とは対極にあったのです。ローマ皇帝アウグストゥスと赤ん坊のイエスは天と地ほどに違うように描かれていながら、しかし、イエスこそがまことの神の子であり、イエスこそが平和を地に実現することができるお方なのです。飼い葉桶の中に眠る赤ん坊の姿に、まことの救い主の姿を見る人は幸いなのです。