2007年12月6日(木)パウロとケファの対立(ガラテヤ2:11-14)

ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

教会の中で「対立」と言う言葉を聞くのはとても気が重い感じがします。対立は分裂を生み、教会の一致を損ねてしまうからです。しかし、教会にはよい意味での対立もあります。それは福音の真理に立とうとする営みです。真理から外れた歩みに妥協せず、福音の真理に留まろうとするために生まれる対立です。
きょう取りあげようとしている箇所には、ペトロに面と向かって反対するパウロの姿が描かれています。

それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ガラテヤの信徒への手紙 2章11節〜14節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」

きょう取り上げた箇所にも、先週から引き続いてパウロの自叙伝的なエピソードが記されています。きょうの場面は前回取りあげたエルサレムでの使徒たちとの合意とは特に時間的な繋がりがあるわけではありません。どれくらいの時間的な隔たりがあったのかは分かりません。とにかくケファ、つまりペトロがアンティオキアを訪問した時の話です。
このアンティオキアの教会ではユダヤ人クリスチャンと異邦人から改宗したクリスチャンがともに礼拝を守り、共に食事に与っていたのです。「クリスチャン」という言葉が生まれたのもこの場所が最初でした。つまり、ユダヤ教の集団でもない、異邦人の集団でもない、また、ただそれらが交じり合っているだけと言うのでもない、「クリスチャン」という名前で外部から認識される集団がここに誕生していたのです。

当時のユダヤ人にとっては、異邦人と食事を共にするということは非常識極まりないことでした。それは初代のユダヤ人クリスチャンにとっても初めはそうでした。使徒言行録10章にはペトロが異邦人であるコルネリウスの招きに応じることがどれほどユダヤ人の常識を超えなければならない問題があったのかをよく示しています。
しかし、そうした問題を克服してまさに、キリストにあってユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もない(ガラテヤ3:28)、一致した共同体を作り上げていたのがアンティオキアの教会といってもよいでしょう。

きょう取り上げるエピソードは、ペトロとパウロがその教会で食事の席を共にしていた時に起った事件でした。その事件とは「ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだした」というものでした。
しかも、そのペトロのとった行動は波紋が大きく、同席していたユダヤ人クリスチャンを初め、バルナバさえもが異邦人との食事の交わりを止めてしまったというのです。

どんな事情からペトロがそのような行動をとり、他のユダヤ人クリスチャンまでもがそれに同調するようになったのか、この短い記事からは細部に至るまで再現することはできません。ただ分かっていることは、「ヤコブのもとからある人々が来た」ということがきっかけになったと言うことだけです。ヤコブのもとから来た人、つまりエルサレムの教会からきた人たちがどんな人たちであったのか、そして、何をペトロに耳打したのかは残念ながらここには記されていません。ただ、前回学んだように、パウロとヤコブとペトロは異邦人伝道に関して一致の確認がなされていました(2:9)。ですから、エルサレムの教会とアンティオキアの教会に最初から対立があって、その狭間でペトロが玉虫色の態度を取ったということではなさそうです。もしそうであるとすれば、前回学んだ「一致のしるしとして右手を差し出した」その行為そのものが疑わしいものになってしまいます。

では、エルサレムの主だった人々とパウロとの間に一致があったにもかかわらず、どうしてペトロはヤコブのもとからある人々がやってくると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたのでしょうか。ヤコブの下から来た人々がペトロに何かを耳打ちしたか、あるいはペトロをたじろがせるようなきっかけを作ったとしても、それは決して先のエルサレムでの合意と矛盾するものではなかったはずです。
そもそも、「ヤコブのもとから来たある人々」というのと、ペトロが恐れた「割礼を受けている者たち」というのは同一人物なのでしょうか。つまりヤコブのもとから来た割礼を受けている者たちを恐れて、ペトロはしり込みをしたのでしょうか。もし、パウロとエルサレムの教会との間に見出された一致が今でもゆるぎないものであると考えると、ペトロが恐れた「割礼を受けている者たち」というのは、ヤコブのもとから来た人たちとは明らかに違う人々であるはずです。
そうだとすると、ペトロの態度を変えさせる事情とはこんなものではないかと考えられるのです。つまり、キリスト教会は異邦人伝道が神の計画であると考える点で、ユダヤ教とは明らかに袂を分かつ集団となっていたということなのです。もし、異邦人との食事の席をあからさまに設けるようなことがあれば、同朋のユダヤ人からの反感を招くことは必死です。もちろん、クリスチャンとしてそのような事態は覚悟しなければならないことです。しかし、いたずらに溝を深めて、自分たちに不利な結果をもたらす必要もないことです。
おそらく、このような対立はすでにエルサレムの教会では現実のものとなっていたのでしょう。異邦人と交わることで、外部の熱狂的なのユダヤ主義者から嫌がらせや迫害を受けそうになっていたことは十分に考えられることです。ヤコブのもとから来た人たちは、そのことをペトロに耳打ちしたのでしょう。ペトロはそれでもあえて異邦人との食事を続けるべきか、それとも、エルサレムのキリスト教会が受ける不利益を考えて、今はそこから身を引くべきか、牧会的な判断を下したのだと思われます。
もしペトロの行動がエルサレムの教会の信徒が受ける不利益を考慮してのものであったとすれば、必ずしも先のエルサレムでの合意を反故にする裏切りとはいえないでしょう。
しかし、パウロは同じ事件を違う視点から観ていたのです。ペトロの取った行動はたとえそれがエルサレムの教会への配慮であったとしても、結果として異邦人クリスチャンを交わりから遠ざけてしまう危険があったのです。それは、福音理解をもゆがめてしまうものとパウロの目には映ったのです。そうであればこそ、パウロは面と向かってペトロを非難したのです。そして、同じ過ちを、つまり、間違った福音理解にガラテヤの教会の信徒たちが陥っている危険をパウロは明らかにしようとしているのです。