2007年11月22日(木)パウロの福音の原点(ガラテヤ1:11-24)

ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

長い歴史をもつキリスト教会の教派の牧師が、御言葉を語る権威について疑念を抱かれるということはよほどのことが無い限りないものです。どこの教派でも大抵は牧師となる資格を定め、ふさわしい者を神から召されたものとして任命しています。
たとえばわたしが所属する日本キリスト改革派教会では、教会の会議によって任命された委員会が牧師の候補者を管理し指導します。必要な神学的な訓練を神学校の教育に委ね、訓練を終えた適当な時期に試験と面接を課して、その者が本当に神から召された者であるのか、その語ることは本当に紙の言葉と一致しているのか吟味します。吟味の結果神から召されたふさわしい者であると認められれば、その者に誓いをさせた上で、牧師としての資格を与えます。教会の側ではその者を神の言葉の奉仕者として受け入れ、その権威に従うことを誓います。
しかし、初代教会の使徒たちの権威はどうでしょう。特にパウロのように地上に生きていたころのイエスとの接点が無い使徒の場合、自分の使徒としての権威は悪意ある人たちによって疑いの目にさらされる危険がありました。
きょうこれから取り上げようとしている箇所は、そうした敵対者に対するパウロの弁明とも考えられる内容です。

それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ガラテヤの信徒への手紙 1章11節〜24節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。

今、わたしたちが学んでいるガラテヤの信徒への手紙は、ガラテヤの教会で起った大きな問題を解決するために特別に書かれた手紙です。その問題とは、まことの福音から早くもガラテヤの教会員たちが離れて、おおよそ福音とは呼べない他の教えにに移っていってしまっているということでした。
きょう取り上げた箇所にはパウロが宣べ伝える福音の源泉がどこにあるのかということから始まって、一見パウロ自身の短い伝記のような記述が続きます。パウロはこの短い箇所を通していったい何を語ろうとしているのでしょうか。

ガラテヤの教会に起っている問題から考えると、パウロの使徒としての権威が疑われているとも考えられなくはありません。少なくともパウロが宣べ伝えたものとは違った教えにガラテヤの人たちは心奪われてしまっているのですから、ガラテヤの教会の信徒から見れば、パウロの方こそが不完全な福音を宣べ伝えているということになります。そもそもパウロは他の使徒と違って、キリストと寝食を共にしたわけでもなければ、キリストによって十二の弟子に加えられてたわけでもありません。そのことを指摘されるならば、パウロには不利なように思えます。

しかし、パウロは自分の使徒としての権威がどこに由来するのかということを直接は語りません。その代わりに、自分が宣べ伝えている福音がどこからきたものであるのかを先ず述べます。

「わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」

パウロにとって大切なのは、自分が宣べ伝えている福音が人間から出たものではなく、キリストの啓示によって神からもたらされたものであるという点なのです。使徒としての権威がある者が伝えた教えが権威ある福音なのではなく、むしろ、伝えている福音が神から出たものであるからこそ権威があり、それを語るものを資格付けているのです。おおよそ使徒にせよ一介の牧師にせよ、その語る言葉が神の言葉の権威と合致していなければ、その者には何の資格もなく、その教えには何の権威も無いのです。ですから、パウロは自分の権威について直接弁明する必要はどこにもないのです。宣べ伝えている福音が神から出たものであるということだけを言うことができれば、それで十分なのです。

さて、パウロはつづいて、自分の生い立ちを簡単に記します。パウロが自分の生い立ちについて語る個所というのは、数多くあるパウロの手紙の中でも、ほんのわずかな箇所にしか過ぎません。しかもここに記される内容は自分がクリスチャンになった経緯をつまびらかにしているわけではありません。明らかにされていることは、自分がかつてはキリスト教の迫害者であったということ、そして、今は180度方向転換をしてキリストの福音を宣べ伝える者とされているということです。そのことについては、シリア、キリキアの教会の人たちが「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、パウロのことで神をほめたたえていたと報告されます。つまり、パウロを180度変えたものは啓示によって与えられた福音の力であるということをこの出来事は証ししているのです。
また、パウロはキリスト教に回心した後、自分がエルサレムの使徒たちとほとんど交流する機会がなかったことを語ります。しかも、そのことが嘘ではないと神の御前で断言するほどの念のいれようです。パウロがクリスチャンになってから今に至るまでの間にはいろいろ書くべきことがたくさんあったはずです。しかし、あえてこのことだけを選んでいるのにはやはり理由があります。
パウロの伝えた福音はエルサレムの教会の使徒たちの権威によって裏付けられるものではないということなのです。もちろん、そのことはパウロと他の使徒たちの間に対立や矛盾があるという意味ではありません。パウロは他の使徒との接触がほとんど無いにもかかわらず、あとで見るようにその教えには完全な一致があったのです。つまり、そのことはパウロも他の使徒たちも、その教えが神に由来するものであることを証ししているのです。