2007年10月18日(木)葬られたキリスト(マタイ27:57-66)

ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

コリントの信徒への手紙一の15章の冒頭で、パウロが最も大切な伝承として受け取り宣べ伝えている事柄を記した箇所があります。
「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」と続きます。単純に考えると、「キリストが罪のために死んだこと」の後につづけて「三日目に復活した」とつなげても事柄の重要性は十分伝わるような気がします。しかし、死と復活の間に「葬られて」という言葉をわざわざ挿入しています。
同じように使徒信条のなかでも「十字架につけられ、死にて葬られ」と続きます。ただ単に「死んだ」と言わないで、「死んで葬られた」と表現するのには、やはり何か特別な意味がありそうです。

きょう取り上げる箇所には、十字架に掛かって死んでくださったキリストが、葬られる記事が出てきます。

それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書マタイによる福音書 27章57節から66節です。新共同訳聖書でお読みいたします。

夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。

キリストの十字架についての記事は四つの福音書すべてに記されていますが、十字架で死なれたキリストが埋葬される記事もまた四つの福音書すべてが取り上げています。もちろん、キリストの復活までを書き記した福音書にとって、出来事を順序だてて書き記す必要から、キリストを埋葬したという記事を欠かすことができないのは言うまでもありません。しかし、そうした出来事の推移を記したに過ぎない記事の中にも、それぞれの福音書記者の独自の視点があることは否めません。

マルコ福音書がイエスの葬りを願い出たアリマタヤのヨセフのことを「身分の高い議員」であったと詳しく記しているのに対して、マタイによる福音書は「金持ち」であったとさらりと人物紹介を流しています。しかし、その代わりに、マタイは彼がイエスの弟子であったと記しています。
どういう意味で弟子であったのかははっきりしません。少なくともマルコとルカによる福音書はアリマタヤのヨセフが神の国を待ち望んでいた人であることを記しています。またヨハネによる福音書はヨセフのことを「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」と紹介しています。このヨハネ福音書の人物紹介はアリマタヤのヨセフを臆病者のように紹介してはいますが、しかし、イエスの弟子たちがキリストを見捨てて逃げ去ってしまったことを考えると、ユダヤ人たちを恐れて自分が弟子であることを隠してきたアリマタヤのヨセフは、他の弟子たちに勝って勇気のある弟子であったといえるかもしれません。マタイ福音書がヨセフを弟子として紹介しているのには、そうした逃げ出してしまった他の弟子たちとのコントラストがあるのかもしれません。

ルカ福音書が書き記していることから考えると、ヨセフはイエスを十字架で処刑しようとする「同僚の決議や行動には同意しなかった」とありますから、葬りの場面で突如カミングアウトしたというよりは、イエスを死刑にしようと躍起になっていたユダヤ最高法院の中で少しずつイエスと自分との関係を明らかにしていったのかもしれません。そして、イエスの遺体の引き取り方を願うことで、自分がイエスの弟子であることを無言のうちに語ったのでしょう。そういう意味で逃げ出したほかの弟子たちよりは、今まで名前すら知られていなかったアリマタヤのヨセフの方が、十二弟子以上に弟子らしい人物であったといえるかもしれません。

いずれにしても、このヨセフのお陰で、あわただしい安息日を前にしながらも、丁寧にイエスの遺体を葬ることができたのです。マタイによる福音書はイエスを葬るときに使われた亜麻布は間に合わせの使い古した亜麻布ではなく「きれいな亜麻布」であったとわざわざ書き記しています。埋葬に使ったお墓も、このために用意したかのように「新しい墓」を用いたのです。
しかし、こうして丁寧に葬ったという事実が、キリストの死が確かであったことを証言しているとも言うことができるのです。葬るという行為は、もはや逆戻りすることができない死を厳粛に受け止めることでもあるのです。葬りに携わる人たちは、その手で死を現実のものとして実感するのです。

「キリストは確かに死なれた」…埋葬の記事はこのことを雄弁に語っているのです。

ところが、マタイによる福音書はこの葬りの記事だけではまだ物足りないかのように、特別なエピソードを紹介しています。
祭司長たちとファリサイ派の人々が、ピラトのところに集まって、イエスの墓を特別に警備して欲しいと願い出たというのです。なぜならキリストの復活をでっち上げるために弟子たちがキリストの遺体を盗み出すに違いないと考えたからです。イエス・キリストを十字架で処刑するだけでは安心できず、徹底的にイエスの活動の息の根を止めてしまおうとするユダヤ最高法院の苛立ちと恐れとが手にとるように描かれています。しかし、このエピソードのお陰で、キリストの死がますます確かなものであったということが明らかになるのです。
三日間、番兵たちの目は墓に注がれていたのです。誰も何も手の施しようがなかったのです。

マタイによる福音書はただ単にイエスの側に立つ者だけがイエスの死を証言しているばかりではなく、イエスに敵対する者たちもまた図らずもイエスの死の証言する者となっているのです。こうして、この次に起ろうとしている復活の出来事の不思議さがますます強調されるのことになるのです。