2020年7月25日(土) 悲しみの幸い

 ご機嫌いかがですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
 イエス・キリストの言葉に、「幸い」について語った一連の言葉があります。そこには貧しい人々の幸いや、飢えている人々の幸いが取り上げられています。この世の常識から考えれば、まったく正反対に感じられます。

 けれども、お金が手に入ると人はほんとうに幸せになれるのでしょうか。食べるものがふんだんにあると人は幸せになるのでしょうか。悲しみを一度も経験しない人は、悲しみを経験した人よりも幸せだと言い切れるでしょうか。不思議なもので、神からの恵みに対して満足ということを知らなければ、それらがどんなに満たされても人は幸せな気持ちを持続することはできません。

 実はイエス・キリストの「幸い」についての一連の言葉は、「不幸」についての一連の言葉と対になっています。泣いている人々の幸いを説く一方で、キリストは今笑っている人たちの不幸を指摘しています。幸せなとき、人はその幸せがどこからくるかを深く考えようとしないので、かえって危ういのです。悲しみの中にいる人ほど、幸せの根源を求めて、まことの神と出会う機会が訪れるのです。キリストはその機会が訪れることを約束してくださっています。

 きょうの聖書の言葉…「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」ルカによる福音書6章21節