2020年6月13日(土) 自分を神とする?
おはようございます。仙台教会の風間義信です。
この時期は気温が高くなったり、肌寒くなったり、うっとうしい日が続いたり、気候の変化をめまぐるしく感じる時です。そうした気温や湿度のことだけでなく、私たちがいろいろなことを感じ、反応するのは、神が私たちに与えてくださった大切なものです。時には素晴らしい出来事に感動したり、他の人の幸せを喜んだりと、とても美しいものとなってあらわれますが、必ずしもそうとはなりません。むしろねたんだり、恨んだりと、歪んだものとなってしまうことはないでしょうか。
実は、イエス・キリストを十字架につけたのは、人々のねたみや恨みと言っても構いません。その原因となったことは、キリストが自分のことを神であると言ったからです。日本のような八百万の神々の世界ですとそれほど問題にならないかも知れません。けれども、その時代は神はただ一人の絶対的な存在で、私がその神であるなどと言うならば石を投げられ打ち殺されてしまいました。
確かに、私たち人間が自分のことを神というのはとんでもないことです。しかし口に出して言わなくても、思い通りにいかないと我慢できなかったり、人を裁いたりすることによって、実際は神のように振る舞っていることはないでしょうか。これこそ自分を神としているようなものです。
だからこそ、イエス様は人の心の奥から出てくるねたみや恨み、本当は自分が神でなければ我慢できないという傲慢な思いをすべて身に受けて、十字架にかかってくださいました。こうして私たちが自分の力で解決できない罪を、イエス・キリストは私のもとに持っていらっしゃい、私が負ってあげようと招いてくださっています。