2020年1月25日(土) 苦境の時にこそ見えてくるもの
ご機嫌いかがですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
「神も仏もあるものか」という言葉をよく耳にします。この言葉を人が口にするのは、本当にあらゆる望みが断たれたときです。しかし考えてもみれば、こういう言葉を口にするのは、裏を返せば、神や仏のいるところには希望があるということです。
長い人生の中には、何度となく「神も仏もあるものか」というほどの苦しみに直面することがあります。きっとラジオをお聴きのあなたも、そういう苦しい経験をされたことがあるでしょう。そのとき、「神も仏もあるものか」という思いが心の中をよぎることは、決して悪いことではありません。むしろ、そういう境地に立って初めて、人は信仰について深い洞察を得るものです。
旧約聖書の詩編の作者も、神が沈黙し、姿を消してしまったと思われるような苦境に何度となく立たされます。完全に打ちのめされ、神から見捨てられてしまったように見える人生を経験します。
人は豊かな繁栄の中で神の御手を感じることは簡単です。しかし苦境のときにこそ、神の御手を現実の彼方に見出す信仰の目が養われるのです。苦境の中で彼方から支えてくださる神の御手を見出しましょう。
きょうの聖書の言葉「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」詩編37編24節