2019年8月17日(土) 自分の十字架を担って
お早うございます。お元気でしたか。きょうも御言葉に生かされて歩みましょう。仙台教会の元牧師の首藤です。
十字架という言葉は、旧約聖書では一度も用いられておらず、新約聖書では58回、用いられています。それほど左様に、十字架という言葉は、新約聖書においては中心的な言葉なんですね。
主イエスが人々に、「自分の十字架を担って、私に従いなさい。」と語られたと、4つの福音書は記しています。使徒パウロは「十字架につけられたキリストを宣べ伝えた」と語ると共に、「キリストの十字架のゆえに迫害された」とも語っています。
十字架の言葉は、信じる者には救いを、信じない者には滅びをもたらす、実にきびしいものです。これは聖書を読む者、礼拝で御言葉を聞く者にとっては、十字架の言葉はいかにきびしいか、知ることはできますが、この21世紀には十字架刑がありませんから、感覚的にはきびしさがわかりません。
私たちも十字架を担って、私たちの罪を贖って下さったイエス・キリストが言われる通り、自分の十字架を担ってイエスに従う、忠実で謙虚なキリスト者となりましょう。