2018年11月24日(土) 赦すということ
いかがお過ごしですか。北中山教会の坂本です。
イエス様の弟子のペトロが「自分の仲間が自分に対して罪を犯したら、何回赦したらいいのですか。7回までですか」と問いかけました。すると、イエス様は「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」と言われました。いったい、どういうことでしょうか。
この後で、一つのたとえ話が語られます。ある家来が、王様から莫大な借金を許してもらったにもかかわらず、仲間に貸したわずかなお金を、情け容赦なく取り立てたのです。これを聞いた王様は怒って、その家来を一生、牢に入れてしまったというお話です。
この家来の姿は、神の前に払いきれない罪という負債をもつ私たち自身なのです。
しかし、イエス・キリストは私たちの罪を完全に赦すために、十字架にかかって死んでくださいました。それは、父なる神がご自分の独り子イエス・キリストの命を犠牲にして、私たちの罪を赦してくださったということです。
人を赦すということは、とても難しいことです。しかし、赦された自分の罪がどれほど大きなものであるかに気付くなら、赦しに生きようとする者にならせていただけるのではないでしょうか。
聖書の言葉
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」ヨハネの手紙一 4章20、21節