2016年12月3日(土) 広岡浅子とクリスマス
被災地の皆さん、お早うございます。魚本です。
NHK朝ドラ「あさが来た」を興味深く見ていました。1919年、ヒロインあささんのモデル、広岡浅子が亡くなった年、私の父親がシアトルで生まれたのです。
ご存知でしょうか。広岡浅子はクリスチャンになったのです。
「九転び十起き」、波乱の明治を生き抜いた浅子。神によって砕かれるのです。
周りにクリスチャン。1901年(明治34年)に、共に日本女子大学校創立にかかわり、初代校長になった成瀬仁蔵(なるせじんぞう)―は牧師―、その仲間の大阪教会の宮川経輝(みやがわ・つねてる)牧師によって、浅子が洗礼を受けます。1911年、クリスマス。62才。
いのちのことば社の「浅子と旅する」という本によると、教会に通い始めた浅子は、「説教で語られる『罪人』という言葉に反発を覚えます」。女性教育と日本初生命保険に関わった浅子は、「『私はなにも不正なことはしていない、失礼だ!』と考えたのでしょう」と。
しかし、聖書はハッキリ言っています。「正しい者はいない、一人もいない…。」(ローマの信徒への手紙3章10節)。だから、救い主が必要。
1904年、夫を癌で亡くす。1909年、乳癌手術を受ける。それで宮川牧師に出会う。
最初のクリスマス、赤ちゃんとなって天から遣わされたキリストを、浅子と共に、信じてみませんか。
有難うございます。