2016年11月26日(土) 雨ニモ負ケズ(4)慰めを届ける存在

 おはようございます。仙台カナン教会の國安光です。今朝も宮沢賢治作、「雨ニモ負ケズ」から、お話をします。

 賢治は一人のクリスチャンを、理想の人間像として、「雨ニモ負ケズ」の中で描きました。
 この詩の最後に、こういう言葉があります。「欲ハナク/決シテ怒ラズ/イツモシズカニワラッテヰル…/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」

 困っている人を助けても、『でくのぼー』と呼ばれて、バカにされることがある。それでも、自分の欲を出すことなく、決して言い返さず怒らない。ただ静かに笑っている。誰からも苦にされないような、透明で柔らかい存在、賢治はそのような人になりたい、と歌います。
 なぜなら、そのような存在が、悲しみや苦しみの中にある誰かに生きる希望を届けることがあるからです。

 賢治はここにキリストの愛を感じていたのではないかと思います。
 聖書にはこういう言葉があります。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12:15)。
 賢治が理想とした人とは、この言葉に生きる人です。立派な人ではなくて、よいのです。誰かと笑い、誰かと悲しむ。小さなことかもしれませんけれども、小さなことを大切に生きるところに、イエス様の十字架の愛が輝いていくのです。
 あなたの一日に、神様の愛が豊かに注がれますように。あなたの小さな働きを、神様が祝福してくださいますように。