2016年10月29日(土) 聖書における祈り

 お早うございます。今日も感謝と喜びの一日になりますように。仙台教会の首藤です。

 祈りという行為は、キリスト教だけのものではなく、他の宗教にもあります。
 でも、旧約聖書の祈りではっきりしていることは、祈る人々の前には、主なる神がおられます。そして、この祈りそのものも、主なる神からの賜物、贈り物なんです。

 聖書に於ける祈りは、神との交わり、対話を意味していて、人が祈りによって、神に近づき、神を知り、神に造られた被造物であることを知ることなんです。
 つまり、祈りそのものが、神が人に与えたかけがえのないプレゼントだったのです。だから、私たちは祈りを大切にしますし、よく祈ることを喜びとしています。

 旧約聖書最後の祈りの言葉は、詩編42編2節、「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。」
 そして、9節、「昼、主は命じて慈しみをわたしに送り、夜、主の歌がわたしと共にある、わたしの命の神への祈りが」と。