2016年1月23日(土) 世の光であるイエス
おはようございます。盛岡教会の久保田証一です。
私たちの心も体も、光を浴びると元気が出てくる、という話を聞いたことがあります。確かに、空が曇っていると心まで少し沈んだ気分になってしまうことがあるかもしれませんね。
真っ青な空を見て光を浴びれば気持ちが晴れやかになることもあります。それはおもに太陽光線としての光のことですが、どう感じるかはともかく、光は私たちがこの世で生きていくために、なくてはならないものですね。
ところで聖書では、イエス・キリストのことを光にたとえています。たとえるどころか、イエス様ご自身は、ご自分が世界の人々にとって光である、とまで言われました。
光であるイエス様は私たちを照らして、私たちがどんな状態で生きているかを示してくださいます。イエス様という光に照らされた時、私が何者であるのか、そしてどんなにイエス様による救いを必要としているかを教えられるのです。そしてこの光は、私たちを本当に救い、新しい命に生かしてくださいます。
イエス様という光に照らされるには、聖書を通して語っておられるイエス様の御言葉に聞くことがまず必要です。どうぞ聖書をひらいてみてください。お手元になければ、教会をどうぞ訪ねてください。
イエス様は言われました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書8章12節)