2015年11月21日(土) 慈しみ深いイエス・キリスト
いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
聖書の記事の中には、興味深い、考えさせられる話がたくさん出てきます。その中に、ある日のユダヤ人の礼拝の様子が出てきます。そこには一人の片手が不自由な人がいました。その場にイエス・キリストも居合わせました。
その場所にあなたも一緒にいたとしたら、何を最初に思うでしょうか。まずはイエス・キリストに目が留まり、この場で何かが起こるのではないかと、期待するかも知れません。あるいは、この片手が不自由な人を見て、この人が歩んできた人生について、いろいろと思いを巡らせるかもしれません。
ところが、この礼拝の中にいた人々が思ったことは、そのどれでもありませんでした。イエス・キリストがユダヤ人の掟を破ってまでこの人を癒すかどうか、そこに関心がありました。しかも、それはキリストを訴える口実を得るための注目でした。この片手が不自由な人に対する関心など少しもありません。
イエス・キリストは人々の思惑をよそに、この人への深い慈しみと関心を示されました。この人もまた救いを必要としている一人だからです。
今朝の言葉…「そして人々にこう言われた。『安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。』」マルコによる福音書3章4節