2013年10月5日(土)「八重の桜」の八重の信仰
お早うございます。仙台めぐみ教会の魚本です。泉区のHさん。前、放送を聴いて電話してくださって、ありがとうございます。
体がいうことがきかなくなって、辛いでしょう。人生は順風満帆ではなかったですね。しかし、試練を通して信仰が与えられ、感謝です。「試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」とあります(ヤコブ1:2)。どんな境遇にあっても、イエス様は、一緒です。
「…世の終わりまで、いつも…共にいる。」と約束しています(マタイ28:20)。
大船渡の医者、山浦先生の心が温まるケセン語訳聖書です。
「世の仕(シ)上がりまで、俺(おれ)ァ常時(いジも)其方等(そなだァど)ど一緒(いっスょ)に居る。」
大河ドラマ「八重の桜」に親しみを感じます。明治33年、大分生まれで、シアトルに移民した祖母の名前も(中村)やえ子でした。
震災の時、ボランティアによって、パン類が関東から運ばれ、嬉しかったです。
しかし、「人はパンだけで生きるものではない。」は聖書の中の有名なことばです。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」はその続きです(マタイ4:4)。
ケセン語訳聖書です。「人ァ飯(まんま)でばり生ぎるもんでァねァ。神様の口(くジ)がら出はる、ひとヅひとヅの言葉で生ぎる。」
「八重の桜」の八重も、戦争と離婚などを通して、「人ァ飯(まんま)でばり生ぎるもんでァねァ。」を学んだと思います。