2013年9月21日(土)摂理の神の守り
おはようございます。気持ちのよい朝をお迎えになりましたか。石巻教会の白津景蔵です。
先日、私と妻は郵便局に行く途中、交通事故に遭遇し間一髪のところで助かりました。今振り返ってみてゾッとする思いで一杯です。お互いよく助かったなあと溜め息まじりの声をもって感謝の想いを妻と時々言い交わしています。
そうですね、私たちは家から一歩外へ出て絶対安全にわが家に帰り着く保証は何もありませんね。私たちが外出する時、たぶん今日も何事もなく安全に過ごせるだろうと勝手に一人決めして行動するわけで、よくよく考えてみると危険に満ちているこの世にあって、毎日が平穏無事に過ごせるということ自体、当たり前ではなく本当に不思議なことだと思えてなりません。
そのことの根本には旧新約聖書を貫いて、脈々と流れる大いなる摂理の神様の確かなみ心とご支配と守りのみ手が働いているのですね。私たちの毎日の生活の出来事は、偶然に裏付けられものではなく、摂理の神様のご配慮のみ手によって裏付けられたものであります。言い換えるならば、神様はご自分で創られた被造世界のすべてを導き治められており、そのことはただただ神様ご自身の愛と憐れみのみ心と恵みによるということなのです。