2012年5月5日(土)手のひらに刻みつける
おはようございます。盛岡教会の久保田証一です。
はじめに聖書の個所をお読みします。「見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける」、旧約聖書イザヤ書49章16節。
これは、主なる神様がご自分の民についてお語りになった御言葉です。わたしにとってとても印象深い御言葉です。
神様という方はもともと体のない「霊」であられます。聖書では神の手とか目などについての表現がありますが、それはあくまでも文学的な表現です。手のひらに刻みつけるというのは、確実にご自分のものとして所有しているということです。恋人の名前を腕に刻みこんでいる人がいますが、それに似ています。ただし、人間の場合は恋人と別れてしまうこともあって、その場合、刻まれた名前は何とも悲しく、空しいしるしになってしまいます。
しかし、神様の場合は違います。その名前どころか、「あなたを」と言っておられるように、民そのものを手のひらに刻みこむとまで言われており、それは決して空しくなることはありません。
さて、神の御子であり人となられたイエス・キリストを思い出しましょう。イエス様はご自分の手に釘を打たれ、十字架に架けられた方でした。その手足に深い傷を受け辱めを忍ばれたのは、わたしたちを罪から救い、ご自分のものとするためでした。それはご自分の手のひらにわたしたちを刻みつけるためだったのです。このイエス様を見上げましょう。