2011年7月30日(土)悲しむ者の幸い
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。ラジオ牧師の山下正雄です。
イエス・キリストの有名な言葉の一つに、「悲しむ人々は、幸いである」という言葉があります。普通は「悲しみ」と「幸せ」とは相反する事柄です。幸せのあるところには悲しみがないからです。
では、なぜイエス・キリストは、悲しんでいる人たちは幸いだ、とおっしゃるのでしょう。確かに、苦しみや悲しみを体験した人は、その分だけ人に優しくなれる、という意味で、幸いな人たちかもしれません。反対に、悲しみを体験していないために、人の痛みを理解できない人ほど、厄介なものはありません。しかし、イエス・キリストがおっしゃる「悲しんでいる人の幸い」は、そう言う意味ではありません。
イエス・キリストは「悲しむ人々は、幸いである。なぜなら、その人たちは慰められるからである」とおっしゃいます。悲しみ自体が幸いなのではありません。そうではなく、神の慰めを受けることができることが幸いなのです。悲しむべき事態を自覚し、心から悲しむ人こそが、神からの慰めもまた大きいのです。
今朝の言葉…「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」マタイによる福音書5章4節