2011年3月5日(土)罪と弱さの中から
おはようございます。盛岡教会の久保田証一です。
旧約聖書には、神様に導かれたいろいろな人物が登場します。神様に呼びかけられて行き先も知らずに旅立ったアブラハム。長男としての特権を双子の兄から奪い取ったゆえに苦労するヤコブ。イスラエルの人々をエジプトから導き出すように命じられたけれども、口下手だからといって拒み続けたモーセ。ペルシャ王の妃となってユダヤ人を救ったエステル。
彼らの中には模範的な人も時にはいますが、完璧な人は一人もいません。みな弱さや欠点を持ち、神様と人の助けなしではやっていけませんでした。
ダビデ王のようにその罪が隠さずに記されている人もいます。そして自分の弱さや罪によって苦しむのですが、神様はそのような人々にご自身のことを現しておられます。そして、信仰ある人々は何があっても神様を求めてゆくのです。ダビデは書いています。「神よ、わたしの愚かさは、よくご存知です。罪過もあなたには隠れもないことです」詩編69編6節。そして、神様の恵みと慈しみを求めて祈るのです。
神様は私たちのことは全てお見通しです。ですから、自分の罪と弱さを認めて神様に救いを求めることは、恥ずかしいことではなく、実に幸いなことなのです。