2009年9月12日(土)わたしの主、わたしの神
おはようございます。東仙台教会の立石彰です。
今朝は、旧約聖書、イザヤ書49章15節の御言葉をお読みします。
「シオンは言う。『主はわたしを見捨てられた。わたしの主はわたしを忘れられた』と。 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」
もし神様に忘れられてしまったら、私たちは一瞬たりとも生きていくことはできません。神様に見捨てられてしまった人生には、何の希望も慰めもありません。
けれども、私たちの人生には、「神様は私の事を忘れてしまったんじゃないか」「神様はもう私のことを見捨ててしまったんじゃないか」としか思えないような悲しい出来事、苦しい出来事が起こります。
そんなときに、神様は、「お前を忘れるわけがない」「お前を見捨てるわけがない」ということをこれほど真剣に、私たちに語ってくださいます。
母親が自分の産んだ赤ちゃんのことを忘れることは絶対にありません。しかし、それ以上に、神様が私たちのことを忘れることは絶対にないのです。