2009年7月25日(土)まことの幸いを備えられる神

お早うございます。仙台教会の元牧師の首藤正治です。
ルカ福音書15章の、わがままから出た放蕩息子はどん底生活を体験しました。その孤独と空腹という耐え難い苦闘の時、「われに返る」という考えても見なかった反省のチャンスが与えられました。

ところで、このような死にたいほどの苦悩に遭遇した時、人間は一体何を考え、何ができるのでしょうか。
この放蕩息子の場合、彼自身の心中で、何かが起こったので、われに返ったのでしょうか。それとも彼以外の力が働いて、「すっかり忘れていた、懐かしい我が家」を思い出したのでしょうか。ここが私たちにとって重要な点です。神は、神を知る者にもまだ知らないものにものぞんでくださって、神を求めるものには必ず、神の導きがあり、救いの手が差し伸べられて、すでに神が備えておられる幸いに至る道に気付かせてくださるのです。
イエスはこの神の愛と恵みに気付くようにと願っておられる方なのです。