2008年6月7日(土)ふるさとの山に向かいて

おはようございます。札幌教会の貫洞です。

「ふるさとの山に向かひて言ふことなし、ふるさとの山はありがたきかな」

これは、わたしのふるさとでもある岩手県出身の石川啄木の歌です。あれこれと思い煩ったり、悔やんだり、自分を責めたり、人を責めたり、…本当に人の心はごたごたと複雑です。でも、ふるさとの山に向かって、その堂々とした姿を見ていると、そんなことはどうでもよいことに思えてくる。そんな思いを歌ったのかもしれません。
大きなものの前で、自分の小ささ、ちっぽけさを素直に知ることができたなら、もっと楽にいろいろなことを考えられる気がします。聖書は、ふるさとの山よりもはるかに大きな神様のことを教えてくれます。しかもその神様は、ふるさとの山をも作られた御方です。あるいは、ふるさとの山が、自分の幼い日を見守ってくれていたと思うなら、神様はいっそう真実にそのような御方です。
神様を正しく知り、信じた人は、次のように歌いました。

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」

聖書の中にある詩編121編の言葉です。
天地を造られた神様は、あなたが助けを呼ぶのを待っておられます。こう教えられています。

「主の名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ10:13)

ぜひ教会へおいでください。その神様を共に礼拝いたしましょう。