2008年4月12日(土)神に望みをかける

おはようございます。盛岡教会の久保田証一です。
旧約聖書の詩編39編の中に次のような一節があります。
「ああ、人はただ影のように移ろうもの。人は空しくあくせくし、だれの手に渡るとも知らずに積み上げる」(7節)。
とても悲観的に人生を見ているようです。もっと前向きに生きていかないと人生つまらないのでは、と思う方もあるかもしれません。

けれども、やはりこれは真実をついた言葉です。やがてはだれもが世を去っていかねばなりません。この詩は、全体がこんな調子で嘆きのような声が支配していますが、なかほどで、希望が示されています。人生が空しいなら、何に望みをかけたらよいでしょう。自分は神様を待ち望む、と神に呼びかけるのです。そして神様が計らってくださる事に希望を見出しています。

神を待ち望む、という姿勢は聖書によく出てきます。自分の希望がかなうことや、欲求が満たされることや、何かすばらしいことが起こるのを期待するのではなくて、神様ご自身を待ち望むのです。自分の成り行きがどうなっていくのか、具体的にはわからないのだけれども、神がおられるので、決して空しいだけで終わることはないのだ、という信仰があります。私たちを造り、命を与えてくださった神様は、私たちが望みをかけて神様を待ち望むように、手を広げて待っておられるのです。