2008年3月28日(金)癒しとは
おはようございます。仙台カナン教会の吉岡です。癒やされたい。と私たちは思って、旅行に行ったり、温泉に行ったりするのですけれども、それが本当の癒しになるのか、疑問を感じることがあります。高いお金をかけて温泉に行きながら、逆に疲れて帰ってくるということもあるからです。
ある牧師が「癒されるとは、自分が愛されている、と、知ることなのだ」と語っていました。エステにも温泉にもない、この種類の癒しが主イエスのもとにはあります。主イエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われました。私たちの重荷はこの方が降ろしてくださいます。主イエスは十字架に架かられましたが、それは、弱くて疲れたこの私たちの重荷を背負って、罪をすべて引き受けてくださるため。そして、私たちに一人一人に、必要な赦しと愛を与えてくださるためです。私たちの深い疲れは、どこからくるかというと、それは、赦し欠乏症、愛欠乏症、神様欠乏症、から来ています。そして私たちが本当に休むために必要なものは、この神様との出会いです。神様に出会うとは、自分がそれによって本当に生き返ることのできるような、大きな優しさに、出会うということです。
主イエス・キリストは招いてくださっています。ここに、本当に新しい生き方、疲れることから自由な生き方、私たちが軽やかに、安心して生きられる道があります。