2008年3月7日(金)悔い改めるとは

おはようございます。仙台カナン教会の吉岡です。ルカによる福音書、15章の10節にはこうあります。

「このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

ここには、「悔い改める」という言葉が出てきます。これは、今までの生き方を後悔せよとか、もっと反省してまじめになれ、神様を信じるように信心深くなりなさいという言葉ではありません。それは「もといた場所に帰る」という言葉です。
無くなって床に転がっていた銀貨は、転がっていただけで、銀貨自体、何もしていませが、見つけてもらって、もといた場所に戻って、自分の本来のあり方を取り戻すことができました。これが「悔い改め」です。

実は私自身も、かつてはこの銀貨のようでした。私は牧師の息子ですけれども、キリスト教を、余計なしがらみと感じて、神様のもとにいることを不自由に思って、そこから一歩身を引いたことがあります。
けれども神様は、ただ私たちを助けたいと思っておられます。見つけ出して、支えたいのです。帰る場所がここにはあって、私たちが帰って来さえすれば、神様はそれでいいのです。この神様に、自分を見つけていただくことが、新しい力になります。私たちは神様に歓迎されている、ということを、是非覚えていてください。