2008年2月29日(金)教会とは
おはようございます。仙台カナン教会の吉岡です。
実は5年ほど前から、私の教会に、夜中に電話をかけてくる人がいます。顔を見たことはありません。わたしは、何度も会いましょうというのですけれども、会ったことはありません。なぜ会えないのか聞くと、その方は「自分は汚いんだ。悪いことをたくさんしてきたから。だから教会には入れない。神様がいるような神聖な場所に、自分は入るのに相応しくない。」と言われます。
その方の言うことは、ある意味正しいことだと思います。けれども心の綺麗な人しか、心にシミのない人しか教会には入れないのかというと、全くそんなことはありません。なぜなら、教会の屋根には十字架がついているからです。
十字架とは、悪いことをした人が、はりつけにされて殺される処刑台です。そしてイエス・キリストという方が、そこにはりつけにされました。それは、私たちの汚い部分を全部吸収して、汚い私たちが、綺麗になって、犯した罪もすべて赦されて、すんなりと神様の所に行けるようにするためです。
その十字架がありますので、どんなに汚い、殺されなければならないほど悪いことをした人でも、教会には入れます。汚いからこそ教会に行くのです。教会に招かれないような人はいません。教会とはそういう場所です。