2024年10月22日(火)罪の自覚と救いの発見

 おはようございます。花見川キリスト教会牧師の中山仰です。
 私は、テレビや小説のサスペンスが大好きです。家内から「殺人が好きなようね」と皮肉られていました。

 殺人が好きなわけではありません。その事件の過程において、自らの罪が描き出されるからです。そこに登場するあらゆる非人間性の残虐さが自分の内にもあって、唖然とする思いがあります。実際に、この社会においては、悪人がのうのうと生きていて、善人は苦労しながら生活している面があります。それらの諸悪に対して、間違っていると思いながらも、それに立ち向かう勇気のない自らの小ささを感じます。

 また主人公の活躍により、それらの悪が一掃される痛快さを感じます。水戸黄門や暴れん坊将軍が、法律では裁けない連中を、正義と称してやっつけます。法律で裁かない様子を心の中で喝采している自分を、まざまざと見る哀れさと悲しみがあります。

 それらのことから考えると、自分の罪深さについて、どれほど無知であったかを知る思いです。本当に崖っぷちに立たなければ、自らの罪に気が付かない愚かな自分がそこにいます。さらにまた、新たに現実の罪を知らされて、愕然とする思いでもあります。

 私たちが自分の罪について知り、真実の悔い改めを始めるのは、実に、主イエスを知った時です。それは、福音書を見てみると分かります。主イエスと登場人物との出会いにおいて、それがよく示されています。徴税人の権利をいいことにして、間違った利得を貪っていた徴税人ザアカイが、自分の罪に気がついたのは、主イエスが自分の家に泊まってくださった時でした。そういう物語が、福音書にはたくさん語られています。教会で聖書のお話を聞きませんか。


【今週のプレゼント】御言葉入り羊のキーホルダー(5名)
【締切】10月26日 ●申込はこちら