2021年9月16日(木)キリストが共にいるということ

 ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
 あるクリスチャンの経験した話です。その人は胃を患い、失業し、8人の家族ともども貧困と絶望の底に落とされたそうです。初めのうちは、これも神様のなさることだと黙って耐えていくことが信仰だと思っていたようです。暗く悲しい思いしかなかったと。

 ところが、ある時キリストが共にいてくださるということに目が開かれ、平安と感謝の生活に変えられたと。病気や失業や貧困はなお何年も続いたけれども、キリストが共にいてくださるなら、そういう日々にも平安と感謝は失われないのだ、と発見させていただいたと。後にその人は牧師になりました。

 困難や労苦や問題が起こると、それを取りのけてほしいと神様に祈ります。取り除かれれば感謝なことです。しかし取り除かれないと、神様のすることだから仕方がない、と何か諦めのような感じで耐えていくことがあります。けれどもキリストが共にいるというのは、そんな暗い悲しい思いになることとは違います。

 キリストの弟子の一人パウロも言っています。「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」コリントの信徒への手紙二 12章10節です。共にいてくださるキリストを見いだし、確認し、忘れないために、聖書を読んだり、祈ったり、教会に行ったりするのです。


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