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ヨハネ18章28-38節
「明け方の時刻深い闇の中で待ち望む輝き」


「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。」
(ヨハネ 18章37節)

 次主日から今年のアドヴェントに入ります。この季節は夜の時間が長く、暗闇が濃くなります。ならば、一日のなかでのアドヴェントは「明け方」(28節)ということになるでしょうか。「明け方」は太陽の光が大地を照らす直前、闇が最も深くなる時刻です。その「明け方」に、主イエスは暴力を受け、縛られ、弟子たちに否まれ、総督ピラトの前に罪人として引き出されることになりました。

 私たちもまた生涯のどこかの局面で味わう、その深い闇のなかに、主イエスは身を置いてくださいました。

 ピラトは主に問います。「お前がユダヤ人の王なのか」(33節)。目の前に立つ男をユダヤの大祭司はなぜ、ひどく恐れるのか、どのような罪で訴えているのか、ピラトには分からないことだらけです。彼には真理も真実も見えない。ピラトもまた「明け方」のなかに身を置いています。まことの光が目の前で輝いているのに。

 イエスは何者であられるのか。どういう意味で王であられるのか。「明け方」の問いを私たちも重ねてゆくでしょう。しかし、その答えはもう私たちの手の中にあります。そのご生涯において、十字架において、週の初めの日の朝早くにおいて、主は私たちの罪に、人間に勝利された!

 「明け方」に、しかし、既に輝いている光があります。人間を救う光が。

 

 【祈り】

 主よ、来てください。既に来てくださったことに感謝し、待っています。

柏木 貴志(岡山教会)

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