「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 (マタイ 26章26節) 主イエスは、「取って食べなさい」と言って、弟子たちにパンを与えられました。これから自分を見捨てることになる弟子たちに対してです。しかも、「よかったら食べてください」ではありません。「取って食べなさい」と命令する強い言葉で、パンを裂き、一人ひとりに手渡したのです。 復活の主イエスと出会い、赦された弟子たちは、生き方が変わりました。命がけで十字架と復活の福音を伝え続ける者とされました。 そんな彼らも福音宣教の歩みの中で何度も心折れる経験をしたに違いありません。そのとき、彼らを支えたのが最後の晩餐の記憶です。主イエスから手渡されたパンの重み、ぶどう酒の色、口に広がる甘味と苦み、喉を通って体に入っていく感覚、そのような五感に刻まれた主イエスの記憶が、彼らを励まし、再び歩み出させたことでしょう。 私たちもまた、福音を伝えようとして心が折れる経験を何度もします。主イエスは、そんな私たちの弱さを、苦しみを、誰よりもご存じの方です。そんな私たちに聖餐を守るように、主イエスは命じてくださいました。主イエスは聖餐を通して、今も、救いの確かさを、揺るがない希望を、堅い守りを、私たちに繰り返し、思い起こさせ続けてくださっています。 【祈り】 主よ、聖餐にあずかるごとに、十字架と復活による救いと守りの確かさを、ますます確信させてください。 山口 弘(名古屋教会)
主イエスは、「取って食べなさい」と言って、弟子たちにパンを与えられました。これから自分を見捨てることになる弟子たちに対してです。しかも、「よかったら食べてください」ではありません。「取って食べなさい」と命令する強い言葉で、パンを裂き、一人ひとりに手渡したのです。
復活の主イエスと出会い、赦された弟子たちは、生き方が変わりました。命がけで十字架と復活の福音を伝え続ける者とされました。
そんな彼らも福音宣教の歩みの中で何度も心折れる経験をしたに違いありません。そのとき、彼らを支えたのが最後の晩餐の記憶です。主イエスから手渡されたパンの重み、ぶどう酒の色、口に広がる甘味と苦み、喉を通って体に入っていく感覚、そのような五感に刻まれた主イエスの記憶が、彼らを励まし、再び歩み出させたことでしょう。
私たちもまた、福音を伝えようとして心が折れる経験を何度もします。主イエスは、そんな私たちの弱さを、苦しみを、誰よりもご存じの方です。そんな私たちに聖餐を守るように、主イエスは命じてくださいました。主イエスは聖餐を通して、今も、救いの確かさを、揺るがない希望を、堅い守りを、私たちに繰り返し、思い起こさせ続けてくださっています。
【祈り】
主よ、聖餐にあずかるごとに、十字架と復活による救いと守りの確かさを、ますます確信させてください。