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詩編63編
「神が共におられる人の喜び」


わたしの魂は満ち足りました
乳と髄のもてなしを受けたように。
わたしの唇は喜びの歌をうたい
わたしの口は賛美の声をあげます。
(詩編 63編6節)

 この詩人は、水を求めてあえぐ人のように、神を求めて渇いていました。絶えず逃げ回るような状況にいて、平安を得ることができなかったようです。それを渇いていると表現するのは、神がおられないように感じたからでしょう。脱水を起こしているような表現ですから、孤独感も強かったようです。

 聖書に対する印象として、とくに旧約聖書において、神が厳しい、怖いと思えてしまうということがあります。そのような質問をよく受けます。しかしながら、実はそうではありません。神はご自分の民を大切になさるからです。厳しさはあっても慈愛に満ちた神なのです。

 突然、6節で、「わたしの魂は満ち足りました」と、詩人の心境が大きく変化するのですが、これはどこから生じたのでしょうか。一晩祈りを口ずさんだ結果の安らぎなのでしょうか。そうではありません。自分の考える救いではなく、御心を思うことによって神の愛を知ったということです。神はいないのでなく、いつもそばにいてくださいます。神が支えてくださるので倒れないのです。

 たとえ何が起こっても、それは神の愛が離れているからではありません。神はご自分の民といつも共におられます。もちろん、きょうも。

 

 【祈り】

 天の神よ。私たちがあなたの支えを心から信じ、委ねることができるように導いてください。

高内 義宣(津島教会)

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