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マタイ20章
「仕えるために来られた王」


「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、…多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
(マタイ 20章27節~28節)

 主イエスは、三度目の受難予告をされましたが、弟子たちはその真意を悟ることができませんでした。それどころか、来たるべきキリストの王国において他人よりも高い地位や報酬を得ようとして、仲間の弟子たちをも出し抜こうと画策します。

 そこで主イエスは、彼らの思い違いを戒めて、新しいキリストの王国においては偉いとされる者は、皆に仕える僕となる者であると教えられました。なぜなら、この王国を支配する王ご自身が、人を支配し仕えさせるためにではなく、人に仕え、隣人のためにご自分の命を棄てる謙遜な王だからです。キリストが神の御子の栄光を捨てて仕える者となられ、最後には強盗と共に十字架に架けられるほどにご自分を低くしてくださったからこそ、私たちは今、神の子どもとされるという素晴らしい報酬をいただくことができるのです。

 もし私たちがこのお方のように自らを低くして、互いに仕えあうことができたなら、そこはきっとキリストの愛が支配する素晴らしい場所になるでしょう。それこそが神の国なのです。きょう私たちがそれぞれに遣わされていく場所で、自分を低くして人に仕える僕となって生きるときに、そこはキリストの愛の支配が実現する神の国となるのです。

 

 【祈り】

 愛する主よ、私たちがきょう、遣わされていく場所で、人に仕える者とならせてください。

堂所 大嗣(恵那教会)

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