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哀歌3章
「赦しと憐れみの神を仰ぐ」


主の慈しみは深く
懲らしめても、また憐れんでくださる。
(哀歌 3章32編)

 歌い手はなお、廃墟と化したエルサレムの都に座しています。国の滅びと都の荒廃。この出来事がなにゆえ起こったのかを彼はわきまえています。これは背信の民に対する、義の神の正当な審判です。彼は今、主の怒りの杖に打たれています。主の御手が彼を責め続けています。

 しかし、驚くべきことに、彼はこのようにうたうのです。「わたしの生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もう」(18節)。「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない」(22節)。

 主の御手に打たれながら、彼は主を待ち望むのです。なぜなら神が慈しみ深き方、愛する民をいつまでも捨て置かれはしない方であることを知っているからです。審判の時が満ちたなら、大いなる憐れみをもって愛する民の傷を包み、再び御自身のふところに迎え入れてくださることを知っているからです。義の神は同時に赦しの神、憐れみの神であられるのです。

 そのことを知る時、主の民のなすべきことは悔い改めて主に立ち帰ることです。彼はイスラエルに呼びかけます。「わたしたちは自らの道を探し求めて、主に立ち帰ろう」(40節)。主を仰ぎ、主に立ち帰る時、闇の中に光が射しそめるのです。

 

 【祈り】

 あなたの驚くべき愛と憐れみを知らされて、私たちはひたすらに御名をほめたたえます。

木下 裕也(岐阜加納教会)

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