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哀歌2章
「この出来事を正しく理解せよ」


主はまことに敵となられた。
(哀歌 2章5節)

 廃墟と化し、バビロンに包囲された都エルサレムの惨状を、2章は1章にもまして深刻に描写しています。荒れ果てた都。敵にはずかしめられる民。飢えに苦しむ乳飲み子。歌い手の目は涙でかすみ、胸は張り裂け、はらわたは溶けて流れ出します。

 しかし、哀歌はたんに国の滅びと都の荒廃を嘆き悲しむ歌にはとどまりません。ここにも「なにゆえ」という言葉が響いていますが、歌い手はこのことが神の民イスラエルに対する神の審判として起こされたことを理解しているのです。これはイスラエルのたび重なる背信に対する、神の正当な審判である。これまで味わったことのないような悲しみと痛みの最中にあっても、敵に嘲笑される屈辱のただ中にあっても、なぜこのようなことが起こったのか、その根本的な事柄が忘れられてはならない。

 神は義なる方です。神の義と人の罪とは水と油のようにはじき合います。それゆえ、神には人の罪を見過ごすことがおできになれません。愛する選びの民を悔い改めに導き、御自身に立ち帰らせるために、神は長い間、繰り返し愛をもって呼びかけられました。けれども、イスラエルは立ち帰らなかった。神の忍耐は限界に達した。愛する民を打たれた時、神の御手もまた痛んでいたのです。

 

 【祈り】

 私たちの罪の深さを教えてくださるのは主よ、あなたです。どうか御許に立ち帰らせてください。

木下 裕也(岐阜加納教会)

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