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哀歌1章
「なにゆえこれが起こったか」


なにゆえ、独りで座っているのか
人に溢れていたこの都が。
(哀歌 1章1節)

 哀歌。哀しみの歌です。その哀しみは、国の滅びの哀しみです。紀元前587年、南ユダ王国はバビロンによって滅ぼされ、民は捕囚となって引いて行かれました。イスラエルの歴史における最も悲惨な出来事です。

 今、歌い手の目に映っているのは、敵の攻撃をこうむって荒れ果てた、見るかげもない都エルサレムの光景です。都は廃墟と化し、神の宮も破壊されて瓦礫の山と化しています。生き残った民は敵に包囲され、嘲笑されています。多くの人々が飢え、パンを求めて呻いています。目を覆うばかりの惨状を目の当たりにして、歌い手の目からはとめどなく涙が流れるのです。

 哀歌は「なにゆえ」という言葉から始まります。この言葉が1章、2章、4章の冒頭に繰り返されます。歌い手は問わずにはおれません。なにゆえ、このような悲惨な出来事が起こったのか。この問いは、そのまま主なる神への問いとなります。主よ、なぜあなたは選びの民に、このようなことをなさったのですか。

 そのように問いつつ、歌い手はすでに答えを得ています。これはイスラエルの背信の結果なのです。主御自身がイスラエルを懲らしめるため、「高い天から火を送」られたのです(13節)。

 

 【祈り】

 あなたに背く私たちの罪があなたを悲しませるのだということ、その事実をさとらせてください。

木下 裕也(岐阜加納教会)

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