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2コリント6章
「生ける神の神殿であるわたしたち」


わたしたちは生ける神の神殿なのです。
(2コリント 6章16節)

 「わたしたちは生ける神の神殿なのです」。これは偶像礼拝や異教的習慣とのたたかいということを考える上で、注目すべき言葉です。キリスト者が個人として聖霊の住まわれる宮であることは言うまでもありません。しかし、パウロはここで「わたしたち」と、複数形で語ります。つまり、教会共同体としての聖化ということが考えられているのです。

 パウロはコリントの信徒への手紙一でも、聖餐の食卓と偶像の食卓の両方につくふるまいを、不釣り合いな軛をともにする霊的姦淫としてきびしく戒めています。なぜなら、それは聖なるキリストの体を汚すことだからです。この点において信仰は厳然としてあれか、これかの事柄です。正義と不法、光と闇、キリストとベリアル(サタンの意)との間には何のかかわりもないのです(14、15節)。

 キリストの体を分け合う教会共同体は、新しい命の場です。人間的な血筋や打算、仲間意識といったものによらず、聖霊の絆に結ばれ、キリストの命を生きる共同体です。主の食卓はキリストの愛と命の支配する場です。ここに集い、キリストの恵みの力を受けて、古いものを後ろに投げ捨てる。そのたたかいを聖徒らはともに担うことができるのです。大きな励ましです。

 

 【祈り】

 主の体を分け合う恵みのうちに、キリストにある霊のたたかいを担わせてください。

木下 裕也(岐阜加納教会)

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