告白を神へのいけにえとしてささげいと高き神に満願の献げ物をせよ。…わたしをお前に似たものと見なすのか。 (詩編 50編14節、21節) 神は、天と地を証人として、ご自分の民を告発しておられます(1、4節)。この詩編は十戒の詩編と呼ばれることがあります。 第一は、神への服従と感謝の伴わない献げ物や礼拝への警告(7~15節)です。神は全被造物の所有者であって、本来、犠牲の献げ物を必要とするお方ではありません。「聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」とあるとおり(サム上15章22節)、神が求めておられるのは、心からの服従と感謝を伴う礼拝です。 第二は、神の掟を唱えながら生活では隣人を顧みず、神の約束の律法を無視する生き方に対する警告(16~21節)です。盗みや姦淫、中傷といった罪の数々に対して、神は「わたしはお前を責める」と言われます。 神を私たち罪人と似たものと見なして侮ってはなりません(21節)。真実な礼拝と隣人への健全で温かい関わりは、神を神とするところでしか成り立たないのです。 かつては神の怒りとのろいのもとにあった私たちです。それが今やキリストにあって、神への感謝の告白をささげ、神の御前に自らを正す者とされています。御子が真実な方を知る力を与えてくださったのですから、この方にあって神をあがめながら歩もうではありませんか。 【祈り】 砕かれた心と感謝をもって、礼拝をささげる者とならせてください。 漆崎 英之(金沢伝道所)
神は、天と地を証人として、ご自分の民を告発しておられます(1、4節)。この詩編は十戒の詩編と呼ばれることがあります。
第一は、神への服従と感謝の伴わない献げ物や礼拝への警告(7~15節)です。神は全被造物の所有者であって、本来、犠牲の献げ物を必要とするお方ではありません。「聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」とあるとおり(サム上15章22節)、神が求めておられるのは、心からの服従と感謝を伴う礼拝です。
第二は、神の掟を唱えながら生活では隣人を顧みず、神の約束の律法を無視する生き方に対する警告(16~21節)です。盗みや姦淫、中傷といった罪の数々に対して、神は「わたしはお前を責める」と言われます。
神を私たち罪人と似たものと見なして侮ってはなりません(21節)。真実な礼拝と隣人への健全で温かい関わりは、神を神とするところでしか成り立たないのです。
かつては神の怒りとのろいのもとにあった私たちです。それが今やキリストにあって、神への感謝の告白をささげ、神の御前に自らを正す者とされています。御子が真実な方を知る力を与えてくださったのですから、この方にあって神をあがめながら歩もうではありませんか。
【祈り】
砕かれた心と感謝をもって、礼拝をささげる者とならせてください。