「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」 (ヨハネ 15章4節) きょうは、主イエスがご自身をまことのぶどう木に譬えられたお話からです。この木と枝との関係を通して、主イエスとのつながりによって私たちは確かに活かされ、確かな命を得ていることがダイナミックに示されます。そのような中に「きょうの聖句」があります。この言葉は元の言い回しでは、「わたしの中にいなさい。わたしもあなたがたの中にいる」というシンプルな文章です。 私たちは生活していますと、主イエスを見失ったかのようになるときがあります。不安や試練や苦しみのなかにありますと、なおさら主イエスの存在が遠く感じてしまいがちです。しかしきょうの言葉では、「わたしも」と、主イエスからのつながりが語られます。たとえ、主とのつながりが時として希薄に思えることがあったとしても主イエスはしっかりとそのような私たちを捕らえて離さないことを表す、慰めに満ちた言葉です。 この主イエスの確かな御言葉を聞いて、つながっていたいのです。時に見失い、不安なことがあるかもしれません。しかし主イエスがあなたに「つながっている」と確かに言われたのであれば、つながっているのです。そして、この御言葉の先には「その人は豊かに実を結ぶ」(5節)という約束の言葉が待っています。 【祈り】 主イエスという木につながり続け、主の約束を信じて、実を結ぶ楽しみに生きることができますように。 大木 信(西鎌倉教会)
きょうは、主イエスがご自身をまことのぶどう木に譬えられたお話からです。この木と枝との関係を通して、主イエスとのつながりによって私たちは確かに活かされ、確かな命を得ていることがダイナミックに示されます。そのような中に「きょうの聖句」があります。この言葉は元の言い回しでは、「わたしの中にいなさい。わたしもあなたがたの中にいる」というシンプルな文章です。
私たちは生活していますと、主イエスを見失ったかのようになるときがあります。不安や試練や苦しみのなかにありますと、なおさら主イエスの存在が遠く感じてしまいがちです。しかしきょうの言葉では、「わたしも」と、主イエスからのつながりが語られます。たとえ、主とのつながりが時として希薄に思えることがあったとしても主イエスはしっかりとそのような私たちを捕らえて離さないことを表す、慰めに満ちた言葉です。
この主イエスの確かな御言葉を聞いて、つながっていたいのです。時に見失い、不安なことがあるかもしれません。しかし主イエスがあなたに「つながっている」と確かに言われたのであれば、つながっているのです。そして、この御言葉の先には「その人は豊かに実を結ぶ」(5節)という約束の言葉が待っています。
【祈り】 主イエスという木につながり続け、主の約束を信じて、実を結ぶ楽しみに生きることができますように。