「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」 (ヨハネ ) この章は、主イエスが羊の門や羊飼いに、そして私たちが羊に譬えられている箇所です。9節ではご自身を「門」に譬えられて、「わたしを通って入る者は救われる」、豊かな命を得ることになると言われて、主の門をくぐった者たちの幸いと励ましが語られています。 そのような関係性の中で、キーワードのように繰り返されているのが「聞き分ける」という言葉です(3、16節)。当時、主イエスの真実の御声以外にも、ファリサイ派やユダヤ人の声など、ほかにもたくさんのまことしやかな声、或いは恐れを抱かせるような声があったようです。 私たちも人生を歩んでいれば、主イエスとは違う声、主義主張に出会います。世界からも日本の中からもまことしやかな発言が聞こえてきます。或いは、自身の内側からも聞こえてくる声があります。そのような中、イースターを経た私たちは、主イエスの御声に聞き従う歩みを心に留めたいと思います。 さらに16節では、これから主の群れに加わるであろう羊のことも語られています。主が一つに集めようとされている群れを邪魔することなく、主の御声のみに導かれる群れでありたいと願います。 【祈り】 主の御声を聴くことの出来る幸いに感謝します。外と内から聞こえてくる誘惑の声に陥らないように、御声にこそ従えますように。 大木 信(西鎌倉教会)
この章は、主イエスが羊の門や羊飼いに、そして私たちが羊に譬えられている箇所です。9節ではご自身を「門」に譬えられて、「わたしを通って入る者は救われる」、豊かな命を得ることになると言われて、主の門をくぐった者たちの幸いと励ましが語られています。
そのような関係性の中で、キーワードのように繰り返されているのが「聞き分ける」という言葉です(3、16節)。当時、主イエスの真実の御声以外にも、ファリサイ派やユダヤ人の声など、ほかにもたくさんのまことしやかな声、或いは恐れを抱かせるような声があったようです。
私たちも人生を歩んでいれば、主イエスとは違う声、主義主張に出会います。世界からも日本の中からもまことしやかな発言が聞こえてきます。或いは、自身の内側からも聞こえてくる声があります。そのような中、イースターを経た私たちは、主イエスの御声に聞き従う歩みを心に留めたいと思います。
さらに16節では、これから主の群れに加わるであろう羊のことも語られています。主が一つに集めようとされている群れを邪魔することなく、主の御声のみに導かれる群れでありたいと願います。
【祈り】
主の御声を聴くことの出来る幸いに感謝します。外と内から聞こえてくる誘惑の声に陥らないように、御声にこそ従えますように。