わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。 (1ヨハネ 5章20節) ヨハネは、第一の手紙を結ぶにあたって、今一度、「子たちよ」と呼びかけます。そしてその最後の一言が「偶像を避けなさい」です。このように言わなければならないほど、偶像の力は大きなものです。偶像は目に見えるものを神として拝んでしまうだけではありません。コロサイの信徒への手紙が記すように、「みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲」(3章5節)など、地上的なものすべてを指します。キリストを退けようとするすべてのものと言ってよいでしょう。 その偶像を避けるためにも、私たちが「御子イエス・キリストの内にいる」ことが許されていることは大きな喜びです。なぜなら、私たちは「神に属する者」(19節)だからです。何もわたしの力によって偶像を避け、神に属しているわけではありません。「この世全体が悪い者の支配下にある」のですから、キリストを離れてはたちまち偶像の力に飲み込まれてしまいます。 だからこそ、聖霊の導きによって御言葉が御言葉として、しっかりと語られ、日々、その知らされている御言葉の約束にとどまり続けることは欠かせません。私たちはその実践を、『リジョイス』を通して与えられています。 【祈り】 毎日、『リジョイス』によって御言葉をいただいている恵みをありがとうございます。 風間 義信(仙台教会)
ヨハネは、第一の手紙を結ぶにあたって、今一度、「子たちよ」と呼びかけます。そしてその最後の一言が「偶像を避けなさい」です。このように言わなければならないほど、偶像の力は大きなものです。偶像は目に見えるものを神として拝んでしまうだけではありません。コロサイの信徒への手紙が記すように、「みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲」(3章5節)など、地上的なものすべてを指します。キリストを退けようとするすべてのものと言ってよいでしょう。
その偶像を避けるためにも、私たちが「御子イエス・キリストの内にいる」ことが許されていることは大きな喜びです。なぜなら、私たちは「神に属する者」(19節)だからです。何もわたしの力によって偶像を避け、神に属しているわけではありません。「この世全体が悪い者の支配下にある」のですから、キリストを離れてはたちまち偶像の力に飲み込まれてしまいます。
だからこそ、聖霊の導きによって御言葉が御言葉として、しっかりと語られ、日々、その知らされている御言葉の約束にとどまり続けることは欠かせません。私たちはその実践を、『リジョイス』を通して与えられています。
【祈り】
毎日、『リジョイス』によって御言葉をいただいている恵みをありがとうございます。