しかし、神はわたしの魂を贖い陰府の手から取り上げてくださる。 (詩編 49編16節) 詩人は最初に「諸国の民よ」と呼びかけ、そして言います。「耳を傾けよ」。詩人は、今から人生と世界の知恵を語り、その謎を解くというのです。 人は必ず死ぬこと、そして人はそれを知らないかのように生きているということが一貫して語られます。誰も「死」に抗することはできません。死を延ばすことはできても、死に打ち勝つことはできないのです。 中世以来の教会が大切にしている言葉に「メメント・モリ」というラテン語があります。「死を覚えよ」「死を忘れるな」という意味です。人はこの世のことに熱心ですが、死への備えには不熱心だからです。やがては死ぬことを知るとき、二つの反応があります。ひとつは「人生は何と空しいのか、すべてが消えてしまう」、もう一つは「どうせ死ぬのだ、思いきり今を楽しもう」。しかしどちらにも「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」という神への希望が欠けています。 9節に「魂を贖う値は高く、とこしえに、払い終えることはない」とあります。それはだれにもできません。しかし、ただ一人、神であり人であるお方がそれをしてくださいました。そのお方こそ主イエス・キリストです!この方だけが罪の赦しを与え、死に打ち勝たせてくださいます。 【祈り】 主イエスよ、あなたが罪と死に勝利してくださったことを心から感謝します。 禰津 省一(熊本伝道所)
詩人は最初に「諸国の民よ」と呼びかけ、そして言います。「耳を傾けよ」。詩人は、今から人生と世界の知恵を語り、その謎を解くというのです。
人は必ず死ぬこと、そして人はそれを知らないかのように生きているということが一貫して語られます。誰も「死」に抗することはできません。死を延ばすことはできても、死に打ち勝つことはできないのです。
中世以来の教会が大切にしている言葉に「メメント・モリ」というラテン語があります。「死を覚えよ」「死を忘れるな」という意味です。人はこの世のことに熱心ですが、死への備えには不熱心だからです。やがては死ぬことを知るとき、二つの反応があります。ひとつは「人生は何と空しいのか、すべてが消えてしまう」、もう一つは「どうせ死ぬのだ、思いきり今を楽しもう」。しかしどちらにも「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」という神への希望が欠けています。
9節に「魂を贖う値は高く、とこしえに、払い終えることはない」とあります。それはだれにもできません。しかし、ただ一人、神であり人であるお方がそれをしてくださいました。そのお方こそ主イエス・キリストです!この方だけが罪の赦しを与え、死に打ち勝たせてくださいます。
【祈り】
主イエスよ、あなたが罪と死に勝利してくださったことを心から感謝します。